I know.

 

 遅刻常習者とはよく言ったものだ、もはや自動的に遅刻するようにできている。
 今朝はそこそこ余裕を持って寮を出た、と思っていたのだが校舎に着いてみればなぜだかすでに一時限目が始まっていた。わずか五分とはいえ今日も立派に更新された連続遅刻記録に、皆守は特に反省もなくしょぼしょぼとまばたきをする。五分も一時間も遅刻は遅刻、だったらおとなしく一時間遅れておけばよかったと骨の髄まで遅刻常習者の思考回路が働いて、もともと乏しいやる気はマッハでゼロ、むしろマイナス値。
 皆守は目の前の教室のドアをあけることなく、廊下を引き返して屋上へ向かった。あとで八千穂にぎゃんぎゃん喚かれると思うと疲労感でつい猫背になるが、それよりも、ちらりと窺った教室内に葉佩の姿がなかったことのほうが気にかかる。必然生まれてくる嫌な予感を払拭しようと深くラベンダーの香りを吸い込んだものの、無意識にパイプの端を噛んでしまい、硬い振動が思考に伝わっていっこうに落ち着かない。目の届くところにいてもいなくても鬱陶しいなんて、どこまで厄介なやつなんだ。いっそ墓の底で朽ち果ててしまえ、トレジャーハンターとしてもっとも正しい死に様じゃないか?
 本音ではないからこその憎まれ口を胸中で叩きつつ、皆守は屋上前の踊り場に無秩序に積み上げられている廃棄待ちの机椅子の山の奥から、徐ろに毛布を取り出した。もちろん私物だ、何が悪い。屋上に毛布を持ち込んで昼寝をしてはいけないなんて校則はない。
 毛布を抱えて屋上の鉄扉をあけると、冴えた日差しが薄暗い踊り場を貫くように照らし、皆守は眩しさに目を細める。閉塞感に満ちた校舎から晴れた屋上へ出るのは、酸素の薄い穴ぐらから風薫る地上へ這い出すのに似ていると最近よく思う。葉佩と出会ってから思うようになったのだということに、皆守は自覚のないふりをしている。
 冬が迫っているとはいえ、風のない快晴の屋外は穏やかにあたたかい。昼寝日和だと機嫌を直して一歩外に踏み出した途端、皆守は気づいてしまった。なんて嫌な方向に期待を裏切らない展開なんだ、ため息も出ない。
 屋上の床に落ちる給水塔の影は、タンクの縁に人が腰かけている姿をくっきりと映し出していた。暇そうに足をぶらつかせているその人物の正体など確かめるまでもない。
 だから皆守は断固確かめようとせず、給水塔にも目を向けないまま、まっすぐに日当たりのいい柵際へと足を運んだ。あたたかな日差し以外のすべて、とりわけ給水塔上の住人を拒絶するように床に横になって毛布にくるまると、ちぇー、とこどもじみた不満の声が給水塔のほうから降ってきた。次いで、ズダンとわざとらしく体重をかけて給水塔から飛び下り、踵の潰れた上履きをだらしなく鳴らしながら近づいてくる足音。
 靴の踵を踏んで歩くなんてトレハンとしてどうなんだ(葉佩は体育シューズも私服時のスニーカーも学内用のローファーでさえ大抵踵を踏んでいる)、いざってときに支障が出るだろう。と、目を閉じ眉間にしわを寄せて皆守は思うが、葉佩はその踵の潰れたスリッパみたいな上履きでおそるべき猛ダッシュができる。まああのときは朱堂に追われていたせいで実力以上の力を発揮していたのかもしれないが(その後、百メートルを十秒で走るという噂が広まって朱堂とは別の目的の陸上部連中にも追い回されていた)。
 そんなくだらないことを思い出していると、急にずっしりと身体に何かがのしかかってきて、熱くてすこしかさついた感触がまぶたに押しつけられた。冬場の葉佩の唇がひどく乾きやすいことを、皆守は最近知った。春や夏の唇はまだ知らない。
 皆守は顔に覆い被さってくるものをすかさず押しのけ、身体にかかる体重も容赦なく蹴り飛ばした。のしかかっていた物体はぎゃんと悲鳴を上げて吹っ飛んだが、懲りずにまたにじり寄ってきて、しかし今度はおとなしく隣に座るに留めたようだった。痛い、ひどい、と情けなく小声で呟いている。でかい図体を体育座りで丸く縮め、しくしくと泣き真似をしている様が手に取るようだ。
 皆守はすこし迷ったあと、あくまで目は閉じたまま、鼻先までくるまった毛布の端から片手だけを出してひらひらと空中に泳がせてみた。すると、目の前に垂らされた餌に警戒も思慮もなく食いつく魚みたいな勢いで、瞬時にその手をつかまれた。この世のどんな魚よりも葉佩のほうが簡単に釣れる。
 釣った葉佩の手をゆるく握り返し、皆守は満足して眠ろうとする。甲太郎ミノ虫みたい、と悪口なんだか単なる感想なんだか芸のない呟きが聞こえたが、一度眠りに向かった意識はあとはもう転がり落ちるばかりで言い返そうにも口が動かない。
 満足ではなく安堵なのだと、眠る寸前に皆守は気がついた。目覚めたときこの手がつながったままであることを、まるで世界の理のように知っている。

 

 2008.11.18
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