らなぞ贋物、わらわこそが人ぞ、と《女官》は誇らしげに高く笑った。
 勇ましいなあと葉佩は真面目に感心し、しかし愚かしいと心底から否定をする。
 おのれだけは確かに人であるとなぜ信じられるのですか、首が飛んでも死なないあなたが。
 化け物のあなたが。

 

 

 

ふさわしからずや 地底の花

 

 

 

け物ではない、と頑なに《女官》は主張した。永劫潰えぬからこそわらわは命なのだと、血で汚れた頬を歪め、真逆の色であるのに血と同じ輝きを放つ美しくも歪な黒瞳で葉佩を睨み上げ、すこしばかり困ったように柳眉を寄せては幾度もくり返した。
 あーどうしよう、と葉佩は途方に暮れる。実際そう口に出して振り向いたら、鬱陶しいとか暑苦しいとか動きにくいとか、いつもとことん葉佩を邪魔にして滅多に隣を歩いてくれない皆守は、いまこそその最たるときと言わんばかりに十歩以上も後ろにいた。
 明かりの乏しさと足元の悪さに加えてトラップまで満載の遺跡内でそんなに離れられては、しかも皆守みたいに足音も気配も希薄なうえ突如睡魔に秒殺食らってそこいらで行き倒れてしまいそうなやつでは簡単にはぐれかねないと心配になったが、距離を置きたがる彼の気持ちもよくわかる。血塗れの化人の生首を抱えたやつとなんて、誰だって並んで歩きたくないだろう。勘弁してくださいと葉佩だって思う、でも実際いま俺が抱えちゃってんですけどねー生首あはは!
 こっち見んな俺に話を振るなその首との交流に巻き込むな、と皆守が壮絶にメンチ切ってくるので、葉佩は仕方なく前に向き直る。今日はやっちーが部活中に足首グキらせたのに始まって、鎌治風邪気味リカちゃん超早寝黒塚石が呼んでるつって行方不明茂美ちゃんもこみちが呼んでるつって行方不明奈々子残業中タイゾーちゃん食いすぎでダウン! となぜだか図ったようなバディ不足、けれどもともと現在の到達地点より深部へ下りる気はなく、取り逃した宝物壷や隠し部屋の有無を確認したいだけだったのでまあ二人でもいけんだろと渋る皆守を引きずって墓へ入ったのだが、女の子を連れてこなくて本当によかったと葉佩は不幸中の幸いを思った。こんな凄惨な姿はさすがに見せられない。
 皆守もいやなら先に戻れと言ったのに、俺がひとりで危ない目に遭ったらどうしてくれるんだ協会から慰謝料でも出るのかと常識ぶった文句を散々吐き垂れた末(責任取って貰ってあげるって言ったら鳩尾に膝だよこの悪魔!)、嫌味ったらしく後方約十メートルの距離を保ってずっとついてきている。ご不満ごもっともですとも申し訳ございませんねえ化け物退治込みの超危険任務に一般の方々のご協力いただいちゃったりなんかしちゃってる協会に知れたらライセンス剥奪もんのフリーダム不良トレハンで!
 口には出せない応酬を胸に秘める一方、いやいやながらでも皆守がそこにいてくれていることには葉佩は素直に感謝している。首と二人きりはさすがに無理だ。
「おいそこのトレハン野郎」
 後ろから殺伐と皆守が呼んだ。必要以上に遠い声に一抹の寂しさを覚えつつ、売られた喧嘩は買ってしまう習性の葉佩である。そのお陰で過去何度トラブルに巻き込まれたことか。というかロゼッタ内ではトラブルメーカーと認定されて久しい、原因は自分ではないと訴えて信じてもらえた試しがない。
「なんだいアロマ太郎」
「蹴られたいのか」
「すんません」
「どこまで持って行く気なんだそれ」
「どこって」
 言い淀んだ葉佩の片腕の中で、人は死なぬものじゃと首が呟いている。黒光りする兜の額の部分が装飾ごと一部欠け落ち、青白い眉間に刻まれたしわが露わになっている。揺れる黄金の耳飾りが澄んだ音で鳴る。高く二つに結った腰よりも長い翠髪は、首と同じ位置で斬り落とされてなお、さして乱れてもいない。
 とても美しいのかもしれないこの化人は、と葉佩は腕に抱えた首を見下ろしてふと思った。首の切断面からいまだ滴る鮮血で(そう、この人でないものの体液はまぎれもなく赤い)腕もベストもズボンもブーツまで血みどろの果てに思うことが「あなたは美しい」、なんてシュール。
 そういえばいま彼女の頬の上で干涸びている歪な血痕も、肉から流れ出た生臭い染みではなく、土に還る前の朽ちた薔薇の花弁に見える。俺はこの化人を正しく見ようとしていないのだろうかと、葉佩はすこし慄然と眉根を寄せた。
 そんなはずはない、実に正しく見てしまったからこその猟奇的なこの現状だ。倒しても倒してもどこからともなく湧いて出る化人の群れをもはや習慣とばかり今日も片っ端から薙ぎ倒し、途中何度か皆守に蹴られ(敵の攻撃知らせてくれんのはいいけど足じゃなくて口で言え)、大岩に追われて猛ダッシュした記憶も新しい八稚女の川と呼ばれる馬鹿に長い通路を抜けたのが、一時間ほど前のこと。
 そこで、一体の采女と遭遇した。
 こんなところでこの化人が出たことがあったろうかと疑問が掠めたのは一秒にも満たぬ刹那、冷静な判断かつ本能で葉佩は背に担いでいた長槍を抜く。ギュル、と黴臭い風を巻いて采女の腕が鞭のようにしなり、鋭利な鎌状の手が葉佩の首を狙い定めて宙を走った。
 葉佩は槍の柄で受け止めざまそのまま絡め取って床に叩きつけ、硬化した鎌の部分ではなくおそらく手首に当たるのだろう柔らかい肉の部分に躊躇なく穂先を突き立てる。即座に槍を離し采女めがけて床を蹴る。コンバットナイフを抜いて眼前で逆手に構え、その刃の向こうに憎悪に滾った采女の形相を見た瞬間、脳の奥がかすかに疼いた。
 槍で床に釘付けた采女の腕、抜いたナイフ、喉笛をひと突きで終わらせるつもりでいるこの状況、以前にも同じことがなかったか?
 葉佩がナイフを振るうより一瞬早く采女が一歩引いた。床に縫い留められた左腕を軋ませながら身体をよじり、肩に備わった装甲じみた巨大なパーツを盾にする。鋼鉄のパーツとコンバットナイフの切っ先が互いを削り合って火花が散った。
 大剣状のパーツに描かれた場違いに優麗な美人画も葉佩は確かに見覚えていた。美人の顔面には刃物で抉られたと思しき無残な傷がすでにある、いま葉佩が愛用のナイフで新たにつけたのとそっくり同じ古い傷跡、前にも見たことが、
「葉佩!」
 珍しく切迫した皆守の大声と同時に後ろから足払いをかけられ葉佩はうおと叫んで地に片手をついた、まさに直後、采女の右手の鎌が頭上を薙ぎ払っていった。危うく胴体が真っ二つだ。
「何ぼっとしてんだ、寝てんのか!」
「お前に言われたかないわ!」
 本気で青ざめながら、今度は葉佩が皆守を庇いつつ転がるようにその場から跳びすさる。またわずかに遅れて采女の腕が、寸前まで二人のいた地面にドカと深々突き刺さった。
 葉佩は素早く体勢を立て直し、皆守を背に庇ったまま用心深くさらに後退する。皆守が咎めるように葉佩の肩をつかみ、押しのけて横に並ぼうとするのを腕で制する。おい、と刺のある皆守の声を遮り、前を見据えたまま葉佩は言った。
「なんかおかしい」
「おかしい?」
「あれ、前に倒したことある気がする」
 葉佩が采女に向かい顎をしゃくると、ガチと皆守がアロマパイプの吸い口を噛む音がして、次いで呆れたように長い呼気が響き馴染みの香りが鼻をくすぐった。
「あの化け物ならいままでも同じのが何体も出てきただろ」
「そうじゃなくて」
 葉佩は返答に詰まった。自分でもよくわからない。同型の化人が相手なら戦法は必然的に似る。以前にも同じ得物で同じ順を踏んで采女を倒したことがあったというだけなのか。しかし美人画についていたあの傷、あれは間違いなく葉佩のコンバットナイフの残痕だ、どういうことだ?
 過去の討ち漏らしかとも一瞬考えたが、それはないとすぐに打ち消す。これまで交戦した化人すべて、例外なく容赦なく屠ってきた。闘争に秀でたおのれの本能が告げるのだ、手負いを逃せばいずれ必ず致命傷となって我が身に返る、と。
 葉佩がすぐには動かないと見てか、采女は鎌ではなく人の指のついた第二の左手で長槍をつかみ、一気に床から引き抜いた。串刺しから解放された左腕が鮮血を噴き、その鮮やかさとは逆の暗い紅を引いた采女の唇からも苦悶が漏れる。
 穂先から滴るおのれの血を束の間見つめていた采女は、ぎらつく双眸を憎々しげに葉佩に向けるや槍を投げ放った。眉間めがけて飛来する凶刃を葉佩は最小限に身体をひねってよけ、顔の横をゆき過ぎようとした槍の柄を空中でつかみ取る。その速力を若干殺し損ねて勢い半身になると、背後にいる皆守が驚きと感心を同時に表すように目を丸くしているのが視界に入った。が、その顔には、そんな芸当ができるならさっきのも自力でよけろ、とも書いてある。まったくですよねーお世話になります!
 葉佩は手中に戻った長槍を身体の前でひと振りし、穂先の采女の血を払う。混乱が影を落とし始めていた頭は、片腕に穴があいたぐらいでは怯みもしない五体満足同然の敵を前に、惑いの名残りもなく晴れた。そうあれは敵だ、葉佩たちの道を塞ぎ命を脅かすものだ。ならば倒す。それ以上も以下もない。
「皆守、足払いありがとな!」
 あァ? という皆守の怪訝そうな声を背に葉佩は走った。圧倒的に有利なリーチを誇る采女の腕が左右から横薙ぎに襲いくる。床すれすれまで屈んで躱し、折った膝を伸ばす反動で跳躍する。すぐさま二撃目が追ってきたが天井の梁につかまって空中で身体の向きを変え難なくよけた。その瞬間がら空きになった采女の胴体の腹部、弱点であるヘソに的を絞って槍を構え、そして葉佩は愕然と見た。
 采女の腹にはすでに大きな傷があった。ヘソにあいた風穴を懸命に埋めようと桜色の肉が盛り上がった治癒には程遠い醜い跡、まるで槍で貫かれたがごとき無残な傷跡が。
 驚愕の中で反応が遅れた。梁につかまっていた腕を鎌で打たれ、葉佩は呻き声とともに落下した。斬り落とされないだけマシだったが手首近くの皮膚が派手に裂けた。
 どうにか着地した途端、右手の長槍を弾かれる。すぐさまベルトのコンバットナイフを抜こうとし、しかし葉佩は短く舌打ちをした。さっき皆守の足払いでこけたときに落としたままだ。
 正面からの采女の左腕の攻撃をぎりぎりで躱し、それをそのまま脇に抱え込む。鎌の刃が掠って脇腹に熱い痛みが走る。しなって振り上げられるもう一本の鎌を目の端に捉えながら渾身の力で采女の左腕を引きつけ、その身体が前にのめった瞬間左肩の大剣につかみかかった。唯一の活路とばかりに引き剥がそうとすればぶちぶちと有機物が切れる生々しい音と絶叫、ああなんてことだ単なる装備じゃねえのか肉とつながっていやがると吐き気を覚える一方で容赦なく完全に引きちぎり、両手で構えるや頭上と真横から襲いきた左右の鎌を一刀のもとに斬り飛ばし、次いでまばたきすら挟む余地なく首をも刎ねた。
 ボッと空中に大輪の鮮血が咲き、そして、
「――――主は、」
 宙に舞った采女の首が決定的な言葉を吐く。
「幾度わらわを殺めれば、気が済むか」
 ひい!? と叫んで葉佩は後ずさり、転がっていた長槍の柄を踏んで思いきりよろけた。と、いつの間に近づいていたのかすぐ背後に皆守がいてぶつかった挙句彼をも巻き込んで盛大にすっ転んだ先にはかつて葉佩自らが爆破した床の大穴、揃って見事に落っこちた。
 てめえええ、と葉佩の下敷きになった皆守が土埃にも劣らぬ怒気を巻き上げるのを無視し、葉佩は本気で顔色を失う。
「しゃべっ、しゃべったよあの首!? 俺のこと知ってるみたいだったよどうしよう皆守超こえェ!」
「黙れいまさら首ごときでびびりやがって、自分でやったんだろうが」
「首じゃない! しゃべる首! おかしい!!」
「お前がな」
 死ぬほど冷たく言い切られ、皆守の上に乗ったままだったのを邪険に蹴り飛ばされる。皆守は立ち上がって制服の汚れを払うと、プリンカレーを見るみたいな嫌悪に満ちた目で葉佩を見下ろした。
「二度とお前と二人で墓には入らん。俺は帰る」
「わあ待ってちゃんと聞いてよう!」
 問答無用で上に上がろうとする皆守の腰に、葉佩はすかさず縋りつく。きもいと脳天に一発食らって、その後どうにか皆守が葉佩の言葉にまともに耳を貸す気になってくれるまでにさらに数回どつかれた。ひどいよ痛いよとしくしくしながら葉佩がいまの采女に感じた違和感と確信を訴えると、皆守は深くアロマを吸い込んで露骨に眉をしかめた。
「じゃあ何か、あれは前にお前が殺したやつが生き返ったってのか」
「そう考えるとめっちゃ辻褄合っちゃうのですが」
「本当にそんなことあると思ってるのか」
「……思わない」
 葉佩と皆守は揃って、自分たちが落ちてきた穴を見上げる。上はしんと静まり返っている。皆守は徐ろに足元の大きな石塊を蹴って転がし、穴の縁の真下まで移動させた。腐りかけて頼りない梯子は無視し、その石塊を踏み台にして穴の縁に手をかける。
「ぎゃーどこいくの皆守!」
「確かめるんだよ。どっちにしろ上に戻らなきゃ外にも出られないだろうが」
「置いてかないで!」
「置いてかねえよ、お前もくるんだよ。つーかほんときもいなお前」
 だって自分で飛ばした生首と目ェ合って話しかけられてみなよこわいよマジこわかったんだよ、と泣き言を並べながら葉佩も仕方なく皆守に続く。おそるおそる穴から顔を覗かせると、抜け落ちた床のすぐ際に微動だにせず皆守が立っていた。
 やや強張った表情と視線で皆守が促してくる先を見ると、フロアの片隅に采女の首が転がっていた。先刻命のやり取りをしていたときの鬼神のごとき面ではない、まるでただの物のような無表情で、じっと葉佩たちを見ている。
 喉元の切断面を下にして床から生えたように転がっている首と、穴の縁から顔を出している葉佩の視線の高さは、いまこの瞬間まったく同じだった。暗い瞳が静かに光っている。鮮やかさなど微塵もないのに血のようなひかりだと葉佩は思った。その瞳がまばたいた。
 生きている。
 無節操なまでに高い順応性のなせる業かそれとも感情の麻痺か、不気味さや恐怖が乾いたペンキのように葉佩の心から剥がれ落ち、代わって疑問ばかりが湧く。身体がない、と気づいた。大量の血を吸って色濃く湿った土の床に転がっているのは首だけだ。身体だけ消えた? そうだ、この遺跡の異形は倒せばことごとくその場で掻き消えた、忌み封じられたがごとき暗中の墓所にはおよそ似つかわしくない輝く粒子となって。
 采女も、異形にして妖艶な女の形をしたこの化人も同じだったはずだ、胴を裂けば、弱点を抉れば、首を飛ばせば滅する。なぜいま目の前のこれだけ首になっても生きている、この個体だけ特別なのか?
 葉佩は穴から這い上がり、ゆっくりと首に近づいた。後ろで皆守が一瞬ためらう気配を発し、緩慢な呼吸音と柔らかく膨らむラベンダーの香り、そしてわざと重たいような足音がついてきた。
 葉佩が目の前に立つと、采女はキロと目玉を動かして見上げてきた。こんなに間近で、戦意も殺意もなく視線を合わせるのははじめてだ。人間と大差ないと思った。限りなく人に見える、というより人だ。首だけである以外は。
「主はなんぞ。ここで何をしやる」
 采女の首が口を利いた。透き通るというほど美しくない、あからさまに高いというほど耳に障りもしない、存外心地よく通る人間の女のような声だった。
「何故わらわを討つか」
 化人と言葉を交わす日がくるなど思いもしなかった。若干鼓動が跳ね、葉佩は素早く舌で唇を湿らせる。
「俺は、あなたを討ちましたか」
「たったいま。その昔、主の槍に腹を貫かれたも忘れてはおらぬぞ」
「だけどあなたは生きてる」
 葉佩の返しに、采女はすこし驚いたような顔をした。頬に血飛沫がこびりついてはいるが、その表情は街中を歩く若い女と何も変わりがない。首を相手に会話が成り立っているより、そのことのほうがおそろしいような気が葉佩はした。
「面妖なことを。人は蘇るものじゃ」
 平然と采女は言った。人は女の腹から産まれるものだと告げるごとく、万人が承知の世界の理を口にするような口調だった。返答を見失う葉佩のすぐ後ろで、化け物だなと皆守が呟いた。すると采女が耳聡く、過敏に反応した。
「何を申す若造、化け物ではない。わらわは人ぞ、化け物ではない。化け物であるものか!」
 葉佩は振り返ったが皆守は無言だ。気圧されているのでもおそれているのでもなく、もとよりこの首と言葉を交わす意思が皆無であるようだった。感情の削ぎ落とされた平たい目をして、もはや首を見てすらいない。葉佩は溜め息と胸中で舌打ちをして、采女に目を戻した。
「人は死ぬものです。腹を貫かれれば、首を斬られれば、命は失われる」
「戯れ言を」
 采女は笑った。人は死なずに蘇るものだというおのれの言を微塵も疑わぬ顔だ。その歪んだ知識はどこからもたらされたのか。世の理に反するそれを拠り所に、この《人に化ける者》は完全に自分を人だと信じている。
「主、わらわを運べ」
「はイ?」
 唐突にしてあんまりな命令に、葉佩は思わず声を裏返らせた。
「主のお陰で胴と分かたれて歩けぬ。じゃから主が運べ、人の不死を証して見せようぞ」
 果てしなくいやな方向に話が転がっている気がする。葉佩は助けを求めて再度皆守を振り返ったが、やつはすでにフロアの扉の前まで退避し、そっぽを向いてお約束の紫色の煙幕を張っていた。てめえこういうときだけキリキリ動きやがって。
「あのう、運ぶって、俺があなたを持つんですかね」
 おそるおそる葉佩が問うと、采女は怪訝そうに眉をひそめて見上げてきた。ほかにどういう方法があるのかとその目が問い返している。まったくもって人間と相対しているのと変わらない。言葉に出さず態度で示してくるそれは、葉佩がジョークを飛ばしたときの皆守や白岐の反応に似ているとさえ思う。
 葉佩は無意識に唾を飲み、采女の首に手を伸ばした。異様に喉が乾き、胃のあたりが縮んで痛みとも吐き気ともつかない不快感が込み上げたが緊張していると自覚する余裕もない。
 頬と顎に両手を添えてそろりと持ち上げた首は、葉佩のてのひらに予想外の体温と重みを伝えてきた。うっかり触れてしまった切断面はぬるりと滑り、指先に固いものが当たった。骨だ。口内に苦い唾液が広がり、なんだか目眩がした。

 

 

うして葉佩は首を持ち歩く羽目になった。フロアの扉の前では皆守が、なんで放っとかねえんだお前は世紀の大馬鹿か、と顔に書いて心底うんざりしたようにパイプの端を噛んでいる。それを見て葉佩ははじめて思い至る、そうか置いてただ立ち去ればよかったんだ、采女自身が言ったように首だけでは追ってもこられないのだから。
 しかし後の祭り、一度手を差し伸べてしまった意思疎通ができるものを無下に放り出すには相当の勇気がいる。葉佩は肉体的には無駄に丈夫だが精神的にはチキンである、いまさらごめんなさいなんて言えるかという話だ(言えるもんなら言いたいわ!)。
 どこに運ぶのかと問うと、采女の言葉は途端に曖昧になった。どこへ、と懸命に記憶を手繰るように自問をくり返す白い面に、明らかな不安と焦燥が広がってゆく。やがて黙り込んでしまったので、葉佩はとりあえず来た道を引き返すことにした。先へ進めば化人たちが待ち構えていて戦闘は必至、首を抱えたこの無茶な状況でそれは避けたい。戻る分には敵はいないしひとつ前のエリアには采女がよく出現するので、何かしら現状打開のきっかけでも得られるだろうかと淡く期待をした。
 葉佩が勝手に歩き出しても、采女からの抗議はなかった。黙していた唇がふたたびひらき細い声が漏れているが、意味を為す言葉は聞き取れない。代わりに皆守が文句を垂れ始めて、一応ついて来てくれているのはありがたいがぶつぶつぶつぶつ言い続けやがって腰痛にはサロンパスがいいわよおじいちゃん! 定期的に出るカレーという単語の鬱陶しさときたら軽く通常の五割増だ。
 そして現在、どこまで首を持って行く気だという揶揄にも似た皆守の問いに葉佩は口ごもり、采女自身からも答えは得られそうにない。途切れがちな采女の呟きは、化け物なぞとようも、と怨言が時折混じるほかはやはり聞き取れない。先程の皆守のひとことが余程気に障ったようだ、それが目的地を思い出す妨げになっているのだとしたら、この迷走の原因はもしかして皆守なんじゃないのか。
 一応安否の確認も含めて恨めしく振り返ると、皆守は頑固かつ嫌味に葉佩との一定距離を保ち続けていて、目が合うなり視界にスクリーンをかけるように盛大にアロマの煙を吐き出した。うぜえー。
 エリアをひとつ遡っても采女の言が要領を得ないことに変わりはなかったが、わらわは帰らねば、という独白が多く混じるようになっていた。記憶レベルでの意識の混濁があるのではないかと葉佩は思う。采女はさっき、葉佩に腹を貫かれたのを「昔」と言った。葉佩が今日以外にもこの采女を倒したことがあるのは事実なのだろう、彼女が本当に幾度も蘇りを果たしているのだとしたら、交戦した回数は二度や三度では済まないかもしれない。ただ何度対峙しているにせよ、そのどれも「昔」と表すほど遠い過去ではない。葉佩が天香にやって来てから、まだひと月足らずなのだ。
 両手が塞がっているのは何かと危険だからと左腕で脇に抱えた首が、帰らねばとくり返す合間に、帰りたい、とぽつりとこぼした。黙々と岩屋だらけのエリアを引き返していた葉佩は、思わず足を止めそうになる。当てなく歩くぼやけた苦痛が真綿のように首を絞め始めていた中、弱々しいその呟きはまるで涙の苦さと痛みで容易に葉佩の心奥に食い込んだ。悲しい、と鼓動が訴える。しかし葉佩はいま何も悲しんでなどいない。
「どこへ」
 抱えた首に尋ねる声が、なぜだかすこし震えた。采女の顔からは表情がごそりと抜け落ち、美しく緻密であるがゆえに陰惨な人形のようだ。命まで抜け落ちてしまったかのようだ。
「わらわは帰らねばならぬ、わらわを待つ人がおるのじゃ。契りを交わしたのじゃ、春の野で、あの方が挿頭
(かざし)をくだされて、あの方が、あの方が、そうじゃあの方が」
 切り落としたように言葉が途絶えた。見下ろすと、一瞬前までの陰々たる無表情が跡形もなく洗われ、爛々と輝く目が葉佩を見据えていた。
「わらわの身体のもとへ戻れ」
「うえ!?」
 葉佩は思わず頓狂な声を上げる。すでに岩屋エリアを抜け、変な壷お化けの出る大部屋まで来てしまっている。また丸々ひとエリア分引き返すのか。一度大広間に出て別ルートを辿ればだいぶ近道にはなるが、どちらにしろ気が滅入る。そして最も重要かつ動かざる事実、戻ったところで身体はもうない。
「身体がのうてはあの方の寵を受けられぬ。ようやっとお迎えくださるというに。わらわの身体。わらわの身体。あの方と添うて、春の、」
 ――――帰りたい。
 泣き声のように聞こえて、葉佩は絶望的な気分になった。もとより絶望的だったことに愚かにもようやく気づき、心臓が竦んだ。生かせも殺せもしないものを連れてどこへ行けばいいのかわからない。連れの求めるものはもうどこにもない、終わりがない。俺にできることなんてないじゃないか。
 そう思うのに、葉佩の足は動いた。いま来た道へ、ふたたび墓の奥へ。悲しい、と心臓が鳴る。
「おい、本気か」
 進路を逆転させれば当然皆守に向かうことになる。葉佩の行く手を塞ぐ格好になった皆守は、呆れも苛立ちも通り越して怒りに似た目をしていた。身体などとうにないといまにも暴露しかねない様子に葉佩はにわかに緊張したが、皆守はそのことには触れず、押し戻すように強く葉佩の肩をつかんだ。
「顔色が悪いぞ」
「平気」
「あと十秒で死ぬツラだ」
「十秒後に死ぬやつなんて見たことないだろ。大丈夫だから先に帰ってて、こっからならすぐ大広間に出」
 言い終わらないうちに突然乱暴にゴーグルをむしり取られた。ナビゲーションシステムが強制的に切断され、前触れなく闇に晒された肉眼が正常に働かず視界が一瞬ひどく濁る。質すより先に葉佩は反射的に皆守の胸倉をつかみ上げ、皆守もパイプを噛む歯を剥き出して殺気じみた怒りを露わにした。が、ゴーグルを隔てず目が合うなり皆守の怒気と表情が明らかな狼狽に変じたので、葉佩もついつられて驚く。
「お前、その目、」
 皆守は掠れ気味に呟くと、葉佩を見据えていた視線を若干迷いがちに落とし、はじめて采女の首を直視した。無条件に背筋が粟立って葉佩は皆守から手を離し、待機モードで暗く沈黙しているH.A.N.Tの黒いディスプレイで自分の顔を映し見る。
 周囲も薄暗いのではっきりとはわからなかったが、目が奇妙だった。くすんだ銀、水に溶けた灰、あるいは錆びた鉄色の、べったりと重たい光沢を放つ瞳。葉佩本来の目ではない、人の目でもない、ならばいったいなんであるのかと考えるまでもなかった。これは采女の目だ。
 戦きよりも驚きが、さらに一刻も早い現状打破をと焦燥が勝ったのが幸いだった、葉佩は混乱する暇もなく皆守からゴーグルを取り返そうと手を伸ばした。悪化の一途を辿りつつあるこの状況で、H.A.N.Tとナビゲーションゴーグルのサポートは欠かせない。しかし皆守はゴーグルを渡そうとせず、親の敵みたいな勢いで葉佩の手を払いのけた。
「お前が戻るなら俺も戻る」
「でも皆守帰りたいって」
「何か文句があるのか」
 なんだか目が据わっている。心配しないでと言おうとして、けれど葉佩は言えなかった。いまそんなことを言ったら全身全霊込めて蹴られる、確実に。采女との交戦から現在に至る過程ですでに相当消耗している、この上殺人キックまで食らった日には冗談抜きで骨折では済まない。それに、いまここで皆守の気遣いを拒否すれば、きっと蹴られた葉佩の肉体以上に痛むのだろう、皆守の心が。
 皆守のそういうところが好きで嫌いだ。普段の無関心を突如翻す無節操さ、自覚のなさ、自分の優しさに憶病なところ。弱っているものを目敏く正しく見抜くのは、お前こそ弱っているからなんじゃないのか。
 葉佩はすこしだけ皆守に笑って見せ、墓の奥へと誘う重々しい扉にふたたび向かう。皆守は一瞬青ざめたと見紛うほどに表情をなくしたが、すぐに忌ま忌ましげに顔をしかめ、葉佩に先んじて扉をあけた。

 

 

けば歩くほど足が重くなるようだったが、錯覚に過ぎない気もした。怪我や疲労以外にも身体が異常をきたしているのはわかっていたが、何がおかしいのかが葉佩自身にもわからなかった。
 皆守がアロマパイプをポケットにしまい込んで、ずっと葉佩の隣を歩いている。カレーのカの字も言わない。自分はそんなにひどい状態に見えるのだろうかと葉佩は密かに苦く笑う。皆守の真剣さと自分の体調悪化が比例するなんて皮肉だ。愛みたいだ、と都合よく思う。
「身体が」
 采女の首が言った。最初からいままでもうずっとそうだったけれど、彼女のしゃべるたびに起こる生きた振動が生あたたかく明瞭に腕に伝わって鳥肌が立った。これだけ相手を努めてやったのだからこの荷をそろそろ捨てても許されるだろうかと糸が切れたように唐突に思って葉佩は辺りを見回し、何体もの座像が粛然と並ぶ広間に入ったところだ、しかし彼女の首がふたたび地に転がる様を想像するなり吐き気が込み上げたので諦めた。
「わらわの身体が落ちた地まではまだ遠いか」
「落ちたのは首でしょう」
「大して変わらぬ。細かい小僧よの、蜘蛛の産毛のようじゃ」
「置いていきますよ」
「やめよ」
 采女の首が、葉佩の腕の中でこくと前に傾いた。頭を下げて謝ったつもりなのだろう、たぶん。やめてくださいそんな人のような真似は、と葉佩は唇を噛む。あなたは人ではない。あなたは
(また化け物か)
 ド、と猛毒が流れ込んだのに似て血が灼熱した。同時に眉間に杭を打ち込まれたごとく頭蓋を締め上げる激烈な痛み、視界が鮮血を噴いたように赤く回る。堪らず呻いて葉佩は膝を折りかけたが、皆守に腕と背を支えられてなんとか踏みとどまった。
 声がする。頭の中、違う、皮膚の下、流れる血液の中で声がする。
(また損じて化け物になったか)
 ひたひたと水の音。
(不死は)
 朧な人影。
(遠いな)
 化け物ではない、と呼応するように采女の首がまた呟き始めた。人じゃ。人は死なぬのじゃ。故にわらわは人じゃ化け物ではない。わらわは、あの方と、  帰りたい、  春の野、     花、
 首を抱えた左腕が焼けんばかりに一等熱い。思考が朦朧とする、痛覚だけが研ぎ澄まされる。左腕に傷を負っていることを思い出した。包帯がいつの間にか解けている、露わになったまだ新しい傷口から采女の血が浸蝕している。異物の流れ入る悪寒に目眩がひどくなる。
「捨てろ!」
 皆守が怒鳴って采女の首を叩き落とそうとした。葉佩は咄嗟に首を庇って後ずさる。床の窪みに足を取られ、よろけた弾みで座像に強か背をぶつけた。
「捨てない、手ェ出さないで」
「ふざけるなよお前」
「絶対になんとかする。して見せるから」
「だめだ」
 皆守は聞く耳持たないとばかり躊躇なく足を振り上げる。葉佩は首を抱いたまま横に跳んだ。直後、葉佩が首を抱え持っていた位置に、座像の片足を砕く破壊力で皆守の靴底が直撃した。
 普段となんら変わらぬ瞬発力を発揮できたことに葉佩自身驚いた。思考を引きむしられそうな頭痛、目の前の皆守の姿さえ歪むほどの目眩であるのに肉体を使うことへの影響がない、切り離されたかのように。皆守もまさか躱されるとは思わなかったようで苦々しげに舌打ちすると、乱暴に葉佩の腕をつかんだ。
「お前がこの先また一瞬でもふらつきやがったら、俺は首を捨ててお前を連れて帰る。いいな」
「ごめんね」
「一度死ね」
 ありがとうを言えばよかったと葉佩は俯いて苦笑ったけれど、訂正しても付け足してももう意味はない。皆守が、骨まで軋む容赦のない激しさで葉佩の右手を握った。
 皆守に手を引かれるようにして葉佩は歩く。本当は先導の必要なんてなかったし、たぶん皆守にだってわかっていたはずだが、彼が手を離さずにいてくれるなら甘えておくことにする。色っぽくないなあとすこし贅沢を思う。
 足は相変わらず地に根を張ったように不自由だが歩くには何も支障がなく、なんて気味の悪い感覚だろうと葉佩は奥歯を噛んだ。印象と実際が切り離されている、それは頭と身体が分かたれているのと同義か、この采女のように?
 血の流れの中に声が這う、化け物、死、不死、命、神、化け物、
 人。
 気づけば、八稚女の川を抜けていた。采女の首を飛ばした小部屋に着いていた。もはや一縷の望みも抱いてはいなかったが、やはり身体はなかった。泥濘るほど床を濡らしていた血の跡すらすでにない。
 葉佩と戦った場所に戻ったとわかっていないのか、采女の首は何も反応をしない。漏れ囁き続ける言葉はずいぶんと勢いをなくし、しかしいまだふつりふつりと泡を生むように途絶えない。
 嘆き果て、憤りに自我を焼き、狂った末にただ焦がれるしかできなくなった命が、断末魔のごとく吐く泡だ。混ざり込む血とともに葉佩の体内に満ちてくる。これ以上を許せば、まぎれもなく「人」である自分が食い破られる気がする。自分の正体が失われる気がする。
 息も止まるほど、葉佩は急におそろしくなった。この首を帰すと決めて(いったいどこへ?)皆守から庇いすらしたのに、心底おそろしくなった。
 一方的に皆守につかまれていた手を、葉佩は強く握り返した。誤魔化しようなく震える葉佩の手に驚いたのか、皆守の指が緩む。離さないでと言葉にする代わり、葉佩はただ力を込めた。
「わらわは人ぞ」
 采女が言った。葉佩は抱えた首を無意識に胸に抱き締めていた。彼女の声が、視線が、これ以上自分に届かないことを願っていた。喉が半分失われても正しく発声することをやめないあなた、生きることを終わらないあなた、これが化け物でなくてなんだというのですか。
「いつか終わるからこそ、人なんです」
 腕の中の采女を見ないまま、縋った皆守の体温にだけ意識を寄せて葉佩は言葉を押し出した。
「あなたの身体はもうない、俺が殺してしまいました。あなたもいずれ死ぬ」
 身体からちぎられた喉で、采女がひゅうと細く息を呑んだ。身体とつながったこの喉から出る言葉がどうか正しくあれと葉佩は祈った。
「だから、」
 正しくあれ、采女にとって。
「あなたは人です」
 耳に痛いほどの静寂が支配した。血から沸き上がる奇妙な声も絶えていた。
 やがて、安堵と紛うような長く穏やかな吐息が、葉佩の胸元をぼうとあたためた。優しいほどに迷いのない、采女の声がした。
「ならばもう良い。置いてゆけ」
 途端に葉佩の心臓は大きく打った。寒気がするほど後悔した。いま自分が口にした言葉、稀に見る人格者面で吐いた心にもない奇麗事が、呪いのように采女に効いてしまった。
(俺はあなたを化け物だと思っている)
 解放されたい一心で言葉を弄したのに、願った通り許しは得られたのに、葉佩は采女の首を離せなかった。錯乱している、と奇妙に冷えた頭の隅で思う。何がしたいのかわからない。帰りたい。何を望んでいたのかわからない。ここから出たい。いったい何を、帰りたい、俺はしたくて、帰りたい(帰りたい?)外に(ちがう)会いたい(これは)帰りたい(俺じゃない)帰りたい帰りたい帰りたい帰(これは俺の意識じゃない)
 野へ、
「葉佩」
 皆守の声で葉佩は我に返った。思考に入り混じる采女の意識は違えようもなく人間の感情から成っていた、化人とは人に化けた者ではなく、人が 化けた 者なのでは、
 抱き締めた首が真白く輝き、葉佩の混乱を遮った。思わず胸から離して見た采女の双眸にあの澱んだ熱気のように重たく滴るひかりは最早なく、深い漆黒のその一対が葉佩を見上げ、力を抜くように柔く細まった。笑った。
 そして、首は眩く弾けた。輝く粒子は余韻もなく土臭い空気に溶けて消えた。葉佩の左腕の傷から途端に多量の血が落ちた。皆守がぎょっと目を見張って傷口を圧迫しようとしたが、葉佩は黙って首を横に振る。怪我の流血ではない、これは采女の血だ。異物が体外に排出されているだけのこと、無情なまでに、ただそれだけのこと。
 じきに出血は止まり、血臭も血溜まりも跡形もなく消えた。何もかも、消えた。

 

 

石の下から外へ這い出すと、地上には冷たい風が吹いていた。深夜の墓地の陰鬱な空気さえ殊更新鮮に思えて、葉佩は大きく息を吸う。墓石の前にしゃがみ込んで外気のありがたさを噛み締めていると、先に出ていた皆守がゴーグルを放って寄越した。
「今日みたいなざまは金輪際ご免だからな」
 疲労と怒りが二重に蓄積された険悪な目付きで釘をさされ、葉佩は首を縮め膝を抱えて小さくなる。
「俺だっていやだよ」
 皆守は聞こえよがしに舌打ちをすると、当分誘うなと態度で示すようにさっさと墓地を出て行こうとした。葉佩は素早く立ち上がってあとを追い、躊躇なく背中から両腕を回して引き止める。皆守の硬い身体が瞬時に殺気に等しい怒気を噴き上げたが、葉佩は構わずに抱き締める腕に力を込めた。
「皆守、化人ってなんだ」
 皆守が虚をつかれたように息を呑んで振り返ろうとした。それより早く、葉佩は皆守の肩口に額を押しつけて俯く。
「死なないって、生き返るってなんだ。ふざけてる」
 皆守は無言だ。葉佩は目を閉じる。答えを得たいのではなかった、ただ言いたかった。
「なんなんだ、この墓は」
「お前が訊くなよ」
 その答えを求めに来たんだろうと皆守がすこしだけ呆れたように言って、身体に回された葉佩の腕に触れた。制服の袖ごと裂けた傷口をあたたかく覆うてのひらに、葉佩はぎゅうと唇を噛む。涙声なんて聞かせてたまるかと懸命に押し殺す一方で、いっそプライドも我慢も捨てて泣いてしまおうかと甘えた妥協で口をひらこうとしたら、皆守に先手を取られた。
「鬱陶しいから泣くなよ」
「なあっ、泣きませんとも! 俺がいつ泣いたと!」
「あと気色悪いからさっさと離せ」
「うう、いやです」
「化け物にいちいち同情なんかしてたら、明日にでもお前は死ぬぞ」
「……わかってる」
 あの采女から引きちぎった大剣も当たり前に持ち帰ってきた、戦力アップ抜かりなし、明日からまた戦い、殺し、より深い闇の底へと何事もなかったように突き進む。そうできる自信がある。
「だけど皆守、あれは」
 あれ、と呼んですでになんの抵抗も感慨もない、おのれの正体も知らぬまま潰えたあの命は、たぶんただ地上に出たがっていた。帰りたがっていた。墓石と乾いた土と痩せた草地が広がるばかりのこの墓地のように、花もなく春には遠い荒涼とした地でも、あれはきっと喜びに満ちて笑っただろう。ついに叶ったと、美しく笑っただろう。
 采女、あなたは。
「野に果てるべき命だった」

 

 

 2008.7.16
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