happy
table
デビルサバイバー/ナオヤと主人公
雑多を極めつつも掃除は行き届いていてしかし生活感はないというバランスの破壊された室内に、ふと朧気な人の気配を感じて直哉は顔を上げた。独り暮らしの部屋には自分だけが存在して然るべきなのに、いつの間にかもうひとりいる。
我が物顔でベッドに寝そべっていた七つ年下の従弟は、直哉と目が合うと屈託なく笑った。が、直哉が反射的に眉をひそめると、すぐに映したように同じ表情をして見せる。ベッドの足側に肘、頭側に足をのせて腹這いになって漫画本を広げているが、もちろん直哉の蔵書ではないから従弟が自分で持ち込んだのだろう。そのくだらない私物とともに、いつどこから侵入してきたのかが問題だ。
「なぜいる」
無駄を一切削ぎ落とした直哉の問いに、おそらくわざとなのだろう、従弟の少年はやたら滔々と答えを述べ立てた。
「勝手に入ったからに決まってます。ピンポン鳴らしたしお邪魔しますもちゃんと言いました。なのにプログラミングだかハッキングだかに夢中なお兄ちゃんはぜんぜん気づいてくんないし玄関はあけっぱだしいろいろ心配すぎて弟としては見守るのが義務っていうか愛情? あ、冷蔵庫にプリンと水入れといたよ」
「訂正しろ」
「何を?」
「お兄ちゃん、弟、ハッキング」
「細かいなあ」
「明らかな誤認を放置できるほど心が広くないんでな」
従弟に足蹴にされている枕を救出すべきか否か若干迷いながら、直哉は不機嫌に目を細める。あーまたそういう顔する、と従弟がベッドの上に起き上がり、肩を震わせて怯えたふりをした。いまでこそ「ふり」だが、幼少時の従弟は、元来鋭い直哉の瞳がさらに針のごとく尖る瞬間に本気で怯えていたようで、「きつね妖怪」とか不本意な人外認定をされてろくに寄りつかなかった時期がある。
「なんでもかんでもプロテクトかける前にまず玄関の鍵かけたほうがいいと思うな」
「……たまたま忘れただけだ」
あのまま育っていればすこしは可愛げもあったろうに、いつの間にかすっかり人を食ったような始末が悪いガキになってしまった。しかし従弟に面と向かってその手の悪態をついたことはない、あなたと血がつながっていますから! と喜々とした嫌味が返ってくるのが目に見えるからだ。我が身内ながら本当に手に余る。というか面倒くさい。
「何しにきた」
ふたたび刺々しく問いながら、直哉はパソコンチェアから腰を上げる。膝が不健康に軋んでつい顔をしかめそうになったが、従弟の手前無表情を装った。彼の侵入に気づかなかった失態といい、パソコン相手にアホほど長時間トリップしていたと容易に知れる。
「昨日うちで夕メシの日だったの忘れてたでしょ」
邪気なく笑う従弟の言葉に、直哉は思わず低く呻いた。プログラム作業に没頭すると寝食が疎かになる、というか潔く忘却する悪癖は自覚している。しかしわかっていようと改善できないから悪癖というのであって、それは当然つい最近まで同居していた家族同然の従弟一家にも知れ渡っているわけで。独り暮らしを始める際、週に一度は従弟宅で夕食をともにするという約束ごとを従弟の母君と交わしたのだが、それ自体をちょくちょく失念するという救いがたい有様だ。
「引きずってこいって母さんに命令された!」
にこにこと宣われ、ああまた怒られる、と直哉は従弟の目があるのも忘れてうなだれた。全開すぎて却って不自然な母君の美しい笑顔とあたたかい歓迎の言葉が瞬時に脳裏によみがえる、なぜなら先週も先々週も見たし聞いた。
『おかえり直哉、待ってたわよ!』(目が笑っていませんお母さん、そして棒読みです!)
ついでに、母君に直哉の強制連行を命じられてめんどくさいと拒否しかけたものの従わないならメシ抜きという理不尽なペナルティを課せられて飛んできた従弟、といういきさつも一秒で想像がついた。やっと義務教育を終えても、立派に成人していても、息子たちは母には逆らえない。
外出するための支度を始めた(というかただ上着を探して散らかった室内をうろうろし始めた)直哉をベッドの上から眺めながら、従弟が知ったような口をきく。
「うちの夕メシが直哉の生命線なんだし、約束はちゃんと守ったほうがいいんじゃない?」
「俺は料理はできる」
「しなきゃ意味がないね!」
ゆで卵の殻すら満足に剥けない(剥けないのだこいつは本当に、白身ごとごっそり剥がしてしまうというミラクルな不器用さ)男子高校生に言われたくないとは思ったが、真理なので言い返せない。しかし負けてやる気もない。
「二度とビーフシチューつくってやらんぞ」
「直哉のより母さんの和風ビーフシチューのほうが好き」
「……かぼちゃコロッケ」
「あっ超ごめんなさい!」
従弟は微塵のためらいもなくベッドの上で土下座した。床ではなくベッドにいるからこその土下座だとわかるのでおもしろくないが、直哉はため息と一緒にそれ以上の言葉を飲み込んだ。我ながらなんて低レベルな攻防。しかもエベレストのごときプライドが災いしてつい勝ちをつかんでしまった。不毛だ。
なぜだか窓のカーテンの裏から発見された上着に腕を通しながら、腹が減った、とようやく直哉は自覚する。まるで待っていたかのように、自宅で母君が腕を振るっているであろう本日の夕食のメニューを従弟が発表した。
彼の子どもっぽい笑顔を横目に湯気の立つ食卓に思いを馳せるこのときだけは、皓々と照るパソコンディスプレイの四角い明かりが疎ましいような気がした。現在の生活のすべてとも言えるパソコンの電源を、直哉は機械的な動作で落とす。それを見届けた従弟が、それじゃ帰ろう直哉、と、満足げにまた笑った。
2009.3.27
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