師への戦況報告と諸々の雑事とおいしいお茶(レックナートより旨い茶を淹れる者をルックはいまだ知らない)のため魔術師の島に一時帰還し、数日の滞在ののち本拠地へ戻ると、三年前の英雄がまた招聘されているようだった。
衛兵のねぎらいを受けつつ城壁の門をくぐって町へ入ると、商店の並ぶ通りへと続く石段のあたりをうろうろしている軍主の姿が遠く見えた。姿だけでなく、「マクドールさん見なかった?」と通りすがりの主婦やら見回り中の兵士やら誰彼構わずつかまえては尋ねている声も、距離のわりに不自然なほどよく聞こえた。いつも無駄に元気なあの軍主は、比例して声も無駄にでかい。
ルックはそのまますぐ城へ向かったが、城内の倉庫前の通路で、ホールから走り出てきた軍主と鉢合わせた。きみがいまそっちから出てくるのはおかしくないかとルックは思ったけれど、我らが軍主殿はどこかの逃げ足エルフ並みに足が速いし落ち着きもないと知っているので驚くには値しない。
「あっおかえりルック、レックナートさん元気だった? 名物の魔術師まんじゅう買ってきてくれた? あとマクドールさん知らない?」
「元気だよ、そんな名物はない、知らない、ただいま」
いま帰ってきたばかりの僕が知ってると思うの、という疑問はこの軍主相手に抱くだけ無駄だ。むしろ、事実無根の名物情報をどこでつかまされたのかのほうが気にかかる。
「ええーまんじゅう楽しみにしてたのに! たまにバケツになるけど超おいしいって聞」
「そう抜かしたホラ吹きは誰」
「シーナくん」
予想を裏切らない名に、ルックは色深い瞳を細め、つややかな唇で美しい三日月を描く。そんなルックの不穏さを気に留める様子なく、いっしょに兵士募集の受付やってもらいたいのにーマクドールさーん! と叫びながら軍主はまた城の外へと駆け出していった。
耳を疑うような発言に一瞬シーナへの怒り(そろそろ殺意に昇格)を忘れ、ルックはつい軍主の背中を見送ってしまう。英雄への階段を着実にのぼりつつある新同盟軍総大将と、自称過去の人だが実質バリバリ現役の隣国の大英雄が二人並んで、入隊試合の立ち会いならまだしも受付をやる気か。入隊希望者の士気を上げる以前にびびらせてどうする。というかトランの大英雄を引っぱり出しておいてやらせることが事務仕事、あの軍主はおそるべき大物かとんだ阿呆か。
アホだなと即決してホールに入ると、ルックの留守のあいだ巡回ついでに石板の「警護」を引き受けてくれていたオウランが、大鏡の前でビッキーと立ち話をしていた。ルックが声をかける前にオウランは肩越しに振り向いて軽く片手を上げて見せ、次いで、ルックさんおかえりなさあーいとビッキーの間延びした声と笑顔に迎えられた。
「例の子供らがまあ飽きずに毎日毎日くるもんでね、端から追っ払っといたがありゃあだめだ。完全におもしろがっちまってる、当分あの子らの遊び場だねここは」
警備状況を報告し、オウランはあでやかな髪と豊満な胸を揺らして快活に笑った。礼を言いながら、ルックは心底うんざりと肩を落とす。
ここ最近、石板付近は非常に騒がしい。発端は小さな女の子だった、シューおにいちゃんのおなまえにかんむりをかいていいですか、と幼い手に蝋石を握りしめてやってきた。軍主シュクは子供に絶大な人気を誇る、この女児も軍主を慕うゆえに、厳めしげな石塊に素っ気なく刻まれただけのその名を飾りたかったのだろう。この城でいちばん偉いのが軍主だと子供は親から教わっているはず、つまり王様、王様といえば冠、と容易く素直に連想するのは頷けるし、大好きな王様のためにという健気な思いもよくわかる。
が、困る。ハイどうぞとはいかないし普段みたいにバッサリ拒否るのはさすがの良心枯渇美少年ルック様(byシーナ)でもためらわれるし、かといってうまいあしらい方も皆目見当がつかないのでものすごく困る。ルックは子供が苦手だ。
期待に輝く女児の純粋な瞳に見つめられて固まっていたところへそのときオウランがやってきて、シュクは王様じゃないから冠はよしておこうお嬢ちゃん、と助け船を出してくれた。じゃあおはなをかく、と言うのを抱き上げて、本物のほうがきっと喜ぶぞ一緒に摘みにいくかとすんなり女児を石板から遠ざけてくれた。肩車をされてきゃっきゃとはしゃぐ女児を見てルックは不本意ながらとても安堵し、オウランを尊敬した。
ところが女児は何をどう解釈したのだか翌日兄弟を連れてまた現れ、ルックは再度オウランに丸投げし、数日後今度はまったく別の子供たちがやってきたのをビッキーに適当(というかもはや素っ頓狂)に言いくるめてもらってご退室願い、しかし日を重ねるにつれますます子供の数は増して、いったいなんなんだこれは。
聞けば、石板のお部屋にいけばボディガードのおねえちゃんとテレポートのおねえちゃんがあそんでくれる、という耳寄り情報が子供たちのあいだで広まっているらしい。さらにビッキーいわく悪ガキどもがニコニコと、「石板にらくがきしよーとするとボディガードのおねーちゃんがおっかけてきておもしろい!」だそうだ。勘弁してくれ。
「おっぱい戦士なんですよおー」
「はい?」
前後なく炸裂したビッキーの頓狂な発言に、ルックは思わず間抜けに訊き返した。
「こどもたちがオウランさんをそう呼んでるのー。いいなあおっぱい戦士」
「おまえだってまだ成長するさ」
「そうですかー?」
平然と会話を続ける二人の側をそっと離れ、ルックはホールの奥へ進んだ。子供たちの好意を無下にできなかったらしく、石板の上にかわいらしい花冠がいくつか載っているのが見えた。早急に平穏を取り戻す術を講じなくてはと思うものの、ここにいる限りそんなものは望めない気がすごくする。正しすぎるその現実を前に、この身に秘められた魔力や真の風の紋章のなんてちっぽけなことか!
ルックは果てしなく遠い目でしばし石板を眺めたのち、そうだシーナをぶっ殺しにいかなくてはと現実逃避して、とりあえず荷物を置きに兵舎へ向かった。与えられた自室の扉をあけようとして、思わず目を眇める。よく知った気配が室内にあった。いまや風前の灯のルックの平穏を容赦なく叩き消す極悪な気配が。
「軍主がきみを探して野ネズミみたいに走り回ってるけど」
扉をあけると同時にいっさい感情込めずに言い放つと、我が物顔で寝台の上に寝そべっていた三年前の英雄は、おかえりィー待ってたーと呑気に手を振って寄越した。
「……汚い」
腹の底から呪わしくルックは呟く。留守中の人様の部屋で何をやってくれてんだアホ英雄、寝台といわず床といわず机といわず、ありとあらゆる場所に図書館の本が、ケーキやパイの包み紙が、ちんちろりんの碗とサイコロが釣竿が空の酒瓶がその他諸々が転がっている。とりあえずそのひよこはいますぐ牧場に返してこい。
昨日今日での惨状とは思えない、マクドールが城に滞在中ずっとここに住み着いていた証拠だ。読書家なのも間食大好きなのも遊楽にふけるのも大いに結構、しかしやるなら自分のところでやれ、無駄にご立派な貴賓室で!
「さっさと片付けて出てってくれる?」
「いけずゥー。ちょっとぐらいごちゃごちゃしてたほうが落ち着くのにィー」
「ちょ・っ・と?」
ギロとルックが睨むと、マクドールはマッハで目を逸らした。どこがちょっとだ、ふざけやがって。しかし現状いちばん問題なのはそこではない、こいつがここにいるということはいずれ軍主も闖入してくる可能性が高いということでつまりこの部屋で大騒ぎになるということで、わあ超迷惑。ほんと勘弁してください。
「僕は仕事があるからすぐに出る。戻ってもこのままだったら切り裂くからね」
「久しぶりに会ったのに冷たいなあ」
「たかが十日やそこらだろ」
「島に戻るなら教えろよ。こっちにくるより断然近い」
「教える義務ないし招待する気もないから」
寝台で肘枕をしたまま動かないマクドールの顔の前に、ルックはわざと勢いよく荷物を下ろす。すぐに踵を返したが、ガシと後ろから腰に腕を回された。迂闊に近づいてしまったのを後悔する間もなく、そのまま引き寄せられて強引に寝台の端に座らされる。
「あのさ、僕の話聞いてた?」
「おまえは仕事で俺はここ片付けて撤収だろ」
マクドールは徐ろに起き上がると、片腕でルックの腰を抱えたまま負ぶさるようにのしかかってきた。
「あの石板てそんな四六時中見てなきゃなんないわけ?」
「いまいろいろ、」
大変なんだよと言いかけてルックは言葉を飲み込んだ。子供相手に攻防戦をしているなんて、無駄にマクドールを喜ばせるだけだ。腹を抱えてひとしきり笑ったあとマクドールはきっと言うだろう、俺が解決してみせましょうと。そして実際どうとでも解決できてしまうのだろう、軍主に劣らず子供にモテモテで口八丁のこの男なら。
おもしろくもないと思う一方で、耳鳴りのようにかすかな痛みと不快感をともなって蘇る言葉があった。
おまえは俺のこと好きになってくれないみたいだなあと、かつて英雄はルックに言った。子供だけではない、女も男も老人も敵対者さえ、彼はあまねく人心をつかんで先の大戦を乗り切った。動かせぬ人の心はないと不敵に言い放つ彼の、ときに畏怖の対象となることも厭わずそれゆえ圧倒的な指導者となり得た彼の、ただひとつつかめなかった心がルックだというのなら、そんな理由でおまえが好きだと臆面なくいまだ飽きもせずくり返すのだとしたら、なんと不毛で哀れで腹立たしい。
「たまには誰かに任せらんないんですかあー」
ルックの肩にあごをのせてマクドールが不満げに言った。鬱陶しいしくすぐったいし肩とあごの骨が薄い肉越しに軋り合って痛いので、ルックはマクドールの顔を押しのけようとしたが、後ろから全身抱き竦めるように余計密着するという手段で抵抗された。紋章を発動してしまいたいぐらいうざい。
「僕の仕事は石板守りだけじゃない。魔術の講義と実技指南も兼ねてる忙しい身なんですよこれでも」
「それジーンさんとラウラさんの担当じゃなかったっけ」
「最近配置換えになってね。あの二人が指南役だと兵士の気が大いに散るらしいよ」
「あっそれ超わかる」
「ソウデスカ」
さっきのオウランとビッキーの会話の場にこいつがいなくてよかったとルックは心底思った。マクドールは理性的本能的に非の打ちどころなく女が好きだ。
「でもほかにもいたろ、えーと、うちのご長寿に喧嘩売ってるっつう自称大魔術師のじいさん。あと拳で語る邪道魔術師、あれ新しいよなあ俺もやってみたい」
「あの人たちは指南方法が愉快すぎて人気がないらしいよ。きみほんと男の名前覚えないよね」
「おまえがいちばん人気か、こき使われてんなあ。俺とも遊んでよ」
こいつ人の話を聞いていない、いや聞いてはいるが根本的に気に留めていない。怒りより空しさと馬鹿らしさが勝ってルックはため息を吐いた、天魁星とは代々こういう生き物なのですかレックナート様。
「暇なら軍主を手伝ってやれば」
「事務はちょっとなー俺向いてない。つーかほら、未来は若者の手で切りひらかないと。俺みたいなご老体いまさら出る幕じゃない」
「誰がご老体だよ。だったら田舎でずっと釣り糸垂らしてればよかったじゃないか」
「バナーはいいとこよー。魚はうまいしエリちゃんはかわいいし」
「いますぐ帰れ」
「でもまあ求められれば力を貸すのも老人の役目っていうか」
「そういう分別のある老人はまず人の話をちゃんと聞くもんだよ。あと、喜々として毎回遠征についてきたり無駄に王国兵をぶん殴ったり食べた魚の墓作りに協力したり三年ぶりに会った熊と青いのを問答無用でボコったり料理対決の審査員になったりしない」
「アハハー。で、なんの話だっけ?」
「僕の部屋に寝泊まりするなって話だよ」
アハハハハと笑ってごまかそうとするマクドールの乾いた声に、そのとき、マックドォールさんはいまっせんっかあー!? と怪しい物売りみたいな節で連呼する軍主のでかい声が重なった。廊下の向こうから徐々に近づいてくる声にマクドールはめずらしく本気で焦った様子で顔を引きつらせ、ルックを解放するや窓から外に飛び出そうとした。落ち着けここは三階だ、とマクドールの身を心配したわけでは決してなくルックは左手で彼の襟首を捕まえ右手で生んだ風でその場から一歩も動かないまま便利に部屋の扉をあけると、
「いってらっしゃい事務仕事!」
細腕一本で(風の力は盛大に借りて)マクドールを廊下にぶん投げた。聞き取り不能の難解な悲鳴を上げてマクドールは宙を舞い、しかしさすがの身のこなしで足から廊下に着地、したところを軍主に捕獲されて抵抗空しく引きずられていった。
てめえルック恋人を売りやがって覚えてろおおと叫ぶマクドールの捨て台詞を聞き流しながら、やつをも捩じ伏せる軍主の力量に感嘆すべきか、単にやつが天然を苦手としているだけなのかと埒もなくルックは考える。どちらにしろマクドールに弱点ができたのは素晴らしいことだと爽やかに薄笑いしかけて、ふと真顔に返った。
誰が恋人だ、調子にのりやがってアホ英雄め。ていうか誰が片付けるんだよ、この部屋は?
2008.4.13
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