僕はそれがうれしい

 

 

 午前零時ジャスト、阿部へ、と栄口からメールがきた。
『お』
 なんだこりゃ。短いと言ってしまうと語弊すら覚えるようなひと文字に戸惑っているうちに、零時二分、泉と田島からも立て続けに不審なメール。
『で』
『め』
 いよいよわけがわからない。栄口と泉、どっちに訊けばより理解に堪える答えを得られるだろうか(田島は端から無意識にナチュラルに除外)と考えるうち、零時三分、今度は三橋だ。
『とう!』
 ……なるほど、納得がいった。四人示し合わせて『おめでとう!』と祝ってくれたわけだ、どうやら田島が順番を勘違いだか単に遅れを取ったかで『おでめとう!』になってしまったが。ありがたいしうれしいけれど若干アホだ、もう寝ようと布団に入りかけていたのに四人もに返信をしなくてはならなくなったし、おかげさまで。
 ベッドに仰向けになって携帯を眺め、阿部はちいさく笑う。三橋(および巣山と花井)のなりゆき突発誕生会以来なぜだか恒例になってしまった西浦ナイン誕生会・泉と阿部編は、ふたりの誕生日のあいだを適当に取ってこのあいだの土曜日にやった。そのとき散々「阿部誕生日おめでとー!」「まだきてねーけどな」(「泉ハピバー!」「もう過ぎたけどな」)をくり返して大概飽きたと思っていたけれど、こうして当日あらためて言ってもらうとやはり頬が緩む。手法がちょっとガキでアホでおまけに失敗気味でも。
 思わずまた笑って、それから阿部はあくびをした。うれしさも現時点では眠気にやや負ける。ちゃんとした礼は朝学校で顔を合わせたときにするとして、いまは「どーも」の一斉送信で済ませていいだろうかと手抜きを考えたとき、五度目の着信音が鳴り響いた。今度は電話だ。三橋?
「もしもし」
 素早く出ると、うお、と回線の向こうで息を飲んだ気配がした。
『阿部くん、起き、てたっ』
「起きてたよ」
 問いかけというよりただの確認みたいな言葉に、阿部はついオウム返しで答える。変に意気込んだような三橋の声はいつもと変わらずスムーズではなかったが、いやというほど鮮明に聞こえた。つまりやたら音量がでかかった。それだけでもめずらしいのに、普段なら表情から声から超不必要にだだ漏れの「ごめんなさい」オーラが感じられないのはどんなイレギュラーだと(こんな夜中に電話を鳴らしておきながら!)、責める気持ちはまったくなく、純粋にめずらしすぎて阿部は驚いた。
『あのっ、栄口くんと、田島くんと、泉くんとオレ、で、メールしたんだ』
「え、ああ、いま見たよ。おでめとう、な」
『う? おで?』
「いや、おめでとう、だろ。ありがとな」
 ふへ、と気の抜けたような照れたような笑い声が受話口からちいさく漏れた。阿部は思わず携帯を耳からはなして見つめ、またすぐに耳につける。体温が伝わってきたような錯覚がした。三橋はあたたかい笑い方をする、ような気がする?
『でもオレは、ね、直接、言うのがいいって』
 やっぱり耳があたたかいように、阿部は思った。充電中の携帯で電話をしているときみたいだ。三橋の声が熱を帯びているんだろうか。
『思って、』
「え、何?」
 一瞬意識が逸れていたせいで三橋の言葉が意味をもってうまくつながらず、阿部は訊き返す。それにかぶさるように、あべくん、と浮き立つような、それでいて真剣な三橋の声がした。
『たんじょうび、おめでとう』
 電話を終えたあとも、三橋の声はぽかぽかとあたたかく耳に残った。あくまで錯覚ではあるが温度を感じるということは、三橋の言葉が何か明らかな感情を含んでいたということだと冷静に分析する一方で、その感情の名を阿部はうまくつかめない。答えはもう鼻先に漂っていて目にもしっかりと映っていて、とてもわかりやすい気はするのだけれど。
 眠気の飛んだ頭でさして真剣にでもなく答えを追い、なんだかいい気持ちでベッドの上をごろごろしているうちに、ほかの三人への返信はすっかり忘れた。

 

 

 翌朝、駐輪場で顔を合わせるなり、「阿部くん!」とマフラーをひらひらさせて三橋が駆け寄ってきた。
「走るな!」
 反射的に阿部が怒鳴ると、ビタ、と三橋も反射的に止まった。片腕を振り上げて片足を前に出したまま固まってしまった三橋に、阿部は足早に近づく。いや別に走るのはいいんだ走るのは、だけど頼むから駐輪場や人込みやその他もろもろ障害物の多いところではよせ。走るぶつかる転ぶケガする、の方程式が三橋には容易に当てはまる。現にいまだって、列を飛び出している自転車の後輪につま先が引っかかる寸前だ。
「あぶねーから」
 ため息混じりに阿部がそれだけ言うと、本当にわかっているのだかどうだか、三橋はこくこくと勢いよく頷いて姿勢を正した。なんか今日は妙に元気だなこいつ、と阿部はもはや脊髄反射のように嫌な予感を覚える。
「おまえまた熱でも」
「阿部くん、誕生日おめでとう!」
「……どうも。つーか昨日、じゃなくて今日いちばんでもう聞いたけど」
「うん、で、でも」
 三橋が白い息を弾ませる。とても真剣な目をしている。
「直接言いたいって、思ったんだ、よ」
 ふんにゃりと三橋は笑った。電話で「直接言う」のは、三橋流の「直接」にはカウントされないことになったのだろうか。しまりのない笑顔がホッカイロみたいに見える、とわけのわからないことを阿部は思った。なんで今日のこいつはこんな幸せボケしたみたいな、
「あ」
 阿部は間抜けに口をあけた。夜中の電話で、そしていまも、いつものオドオドオーラの代わりに三橋がふりまいている感情の名前がわかった。顔が熱くなる。
 三橋は、オレの誕生日がうれしいんだ。

 

 

 2007.12.13
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