の
    役
      立
        た
          ず !!

 

 

 窮屈とか寝苦しいとか、もはやそんなレベルじゃない。
「……おも……」
 胸の圧迫感がひどくて呼吸の通りが浅く、
「おも……」
 うまく抜けきらない空気が淀むのか喉がやけに熱いように思う。
「お、も……」
 これはひょっとしてもしかしてまさか(おも、てさっきから聞こえんのなんだ?)命に関わるような重大な(つーか寒!)事態だったりするんだろうか冗談はよせ!
「重いわ!」
 自分の声で阿部は目を覚ました。同時に無意識の防衛本能で勢いよく上半身を起こし、胸の上にのっていた茶髪頭をはねのける。はね飛ばされて隣の西広の上に突っ伏し、んがっと声を上げたのは水谷だ。ものすごく寝相よくまっすぐに仰向けになっている西広は微動だにせず、規則正しい寝息を立て続けている。大物。
 阿部はどうやら、右隣に寝ていた水谷に胸の上にのっかられ(重いはずだ)、同じ布団の沖に掛け布団を奪われ(寒いはずだ)、見れば足の上にも大口あけてカーカー爆睡中の田島がのっている(だから重いって!)。
 蹴飛ばすも同然に田島をどかしたが、低くうなり声が漏れただけで起きやしない。寝ているくせに明らかに笑顔なのが不気味だ。自分のと阿部のと二人分の掛け布団を抱え込んでいる沖から一枚取り戻そうと引っぱってみたが、こっちもびくともしなかった。
(沖ィいー!)
 どいつもこいつもふってえ神経だな! と拳を震わせていると、阿部にはね飛ばされてうつぶせになっていた水谷がようやくむくりと起き上がった。
「いってーなー、なにー?」
 寝起きだといつもよりチャラくない、というか目がひらききらずにぶさいくな顔になっている水谷が、恨みがましく阿部を振り返る。
「何じゃねェよ、人を枕にすんな」
「してないよー。うう、ネム……」
 水谷はろくに阿部に取り合わず、どんなコツがあるんだか沖があれだけがっちり抱えていた阿部の布団をいとも簡単に奪い取ると、素早くくるまってまたばたりと倒れ込んだ。
「それオレの布団だよ」
「いーじゃんどれだっていっしょだろー」
「いいから返せって」
「いーならいーだろおー。阿部うるせー!」
「うるさくねェよ! あってめ寝んな!」
 阿部と水谷がそろって大声を出した瞬間、沖が大きくうなって寝返りを打った。ふたりは慌てて、しィー、しィー、と口に人差し指を当てて目配せし合う。決して狭くはないのだがこの人数にはやっぱり狭い和室はふたたび静かになり、ひしめき合って眠る部員たちの寝息だけが実に自由に響き渡る。
 阿部は長々ため息をついて立ち上がった。練習以外の部分で何かと疲れる合宿だ。
「どこいくの」
 鼻先まで布団に埋もれた水谷が、片目だけあけて見上げてくる。
「便所」
 簡潔に答えると、あっオレも、と水谷はやたら機敏に起き上がった。オイオイついてくんのかよ、とつい思ったのがまんま顔に出たらしく、水谷は不満げに、というよりなかばあきれたように斜に阿部を見た。
「人がいつ便所いこーと勝手だろー」
 そうだけど、とまたため息で返し、隙間なく敷き詰められた布団の下のみんなの身体を踏まないように気をつけながら阿部が部屋を出ようとすると、水谷もぴったりついてくる。
 廊下に面した障子をあけると、冷たい夜の山の空気が肌を撫でた。電気を消した室内より星明かりの照らすベランダ兼廊下のほうがよほど明るくて、けれど水谷が背後から離れないので、阿部は振り返って訊いてみる。
「まさかこえェとか言う?」
 ほとんど冗談みたいなものだったのに、えへェ、と水谷はしまりのない顔で笑った。マジか。
「だって森のほう真っ暗なんだもん」
「見なきゃいーだろ」
「周辺視周辺視」
 ヘラヘラする水谷をウザイと人でなしにも思いながら歩き出した途端、
「ひいっ!?」
「おうわっ!!」
 突然水谷が奇声を上げて飛びついてきて、阿部も思わず変な声を出してしまった。ただでさえ年季が入りすぎて危険な床板を力いっぱい踏みしめてしまって、足元からも不吉な音がした。
「なんだよ!」
「冷たいのに足さわられたあ!」
「はあ!?」
 情けない声を出す水谷を押しのけて和室の中に目を戻せば、なんのことはない、廊下側のいちばん端に寝ていた三橋が布団の上に正座して、水谷を呼び止め損ねたのかなんなのか片手を所在なげに宙に泳がせたまま、遠慮がちにふたりを見上げていた。
「っだ三橋かよー。超びびったじゃんかあ」
「うお、ご、ごめっ」
 三橋は水谷に謝りながらチラと阿部を見たが、目が合う前に逸らされた。
「オ、オレも、トイレ」
 立ち上がった三橋を見て、水谷が無駄に嬉しそうな顔をした。「おまえもこわい?」「こわく、ないよっ」とかやりながらギシギシ床を鳴らして歩いていくふたりのあとに、阿部はすこし離れてついていく。
「三橋」
 呼ぶと、三橋は目に見えて肩を震わせてから、ぎこちなくちょっとずつ振り返った。
「ずっと起きてたのか」
「いっ、いまっ! 起きたんだ、よ」
 予想通り、三橋はウソをついた。怯えた様子でチラチラ阿部を見て、背を向ける瞬間、悲しげな顔をした気がした。くそ、と阿部は拳を握る。なんでオレまで、かなしく、
 よく眠れるおまじない、というのがあるそうだ。阿部の弟がレギュラー入りしてはじめての試合の前夜、緊張と興奮で寝つけない彼に母親が一生懸命教えてやっていた。くだらないと思ったので、阿部はろくに聞いていなかった。
 あれを、覚えておけばよかった。

 

 

 2007.10.28
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