試験範囲の公式をひと通り説明し、「まちがってもカンで答えだけ書いたりすんなよ。万が一あっててもあいだの式なかったらバツされっかんな」、まあ小心者の三橋にはありえないだろうが変なところで大胆なヤツだからといちおう予防線を張ってから目をあげて、阿部は図らずもキレる三秒前の薄ら笑いを浮かべそうになった。
 三橋は寝ていやがった。図書室の大きな机の向かいで椅子の上に正座をし、両腕を机上に投げ出して、広げたノートに頬をべったりつけてぐっすりだ。阿部の握ったシャーペンの芯が折れた。こいつはいつからオレの話を聞いてなかったんだ最初からか。最初からだな!?
「て」
「おー警戒心ゼロだなー」
 めえ三橋起きやがれ、とここが図書室であることを忘れて怒鳴りかけたとき、トイレに立っていた田島が戻ってきた。阿部はかろうじて怒声を飲み込み、やかましく椅子を引いて三橋の隣に座った田島に目をやった。
 一度ならずカンで正答を導いたことのあるらしい田島は(採点は非情にバツだったが一回だけお情けで三角をもらったそうだ、甘いぜ先生)、片手の親指と人差し指でおそるおそるみたいにノートをめくりつつもう片手をシャツの腹でゴシゴシする、を交互にやっている。服で手を拭くな。幼稚園児みたいなその行動にはノーコメントのまま、警戒心? と阿部は片眉をあげた。
「そー。こいつ普段外じゃ滅多に熟睡しねーもん」
 だらしなく寝こける三橋を、同じようにノートに頬をつけて真横から窺いながら田島が言う。じゅ、授業でちょっと、寝ちゃって、とか言い訳しながらもたもたと泉のノートを写しているのを見た覚えがあるが、と阿部が眉根を寄せていると、その疑問を読み取ったかのように、いやおそらく盛大に顔に出ていたのだろう、田島は両目をくりくりさせて身体を起こした。
「授業で居眠りとかよくしてっけど、当てられる前に起きるしよ。電車でも降りる駅で絶対目ェ覚めるって言ってたぜ。なんか家以外だと緊張して熟睡できねんだって」
「でもこいつこないだもオレと帰ってる途中で爆睡したけど」
 練習試合後にバッテリー反省会をしていて阿部と三橋だけみんなより学校を出るのが遅くなった帰り道、コンビニで惣菜パンとプリンを買って店を出たら、肉まんとサンドイッチを抱えて三十秒ほど先に出た三橋は自転車の脇にへたり込んでい、るのかと思いきやぐーぐー寝入っていた。心配して駆け寄った自分がアホらしい。呼んでも反応がなく揺さぶり起こしてどうにか自転車に乗せたがあまりにも危なっかしいので結局三橋の家まで送る(というかついていく)ハメになり、パンはお預けになるわプリンは生ぬるくなるわで散々だった。
「だから阿部は平気なんだろー」
 眠り続ける三橋の頭に教科書をかぶせ、その上に筆箱を置き、さらに携帯をのっけてみたりしながら、田島がけろりと言った。おおーナイスバランス、なんてケタケタ笑って喜んでいる。そこへ、わりー遅れた、ごめんね掃除当番で、と口々に言いながら花井や巣山、西広がやってきた。三橋はまだ起きない。
 特別阿部だから平気、というわけじゃあないんだろう。野球部のみんなに、三橋はずいぶんと心を許し始めているんだろう。白球がまっすぐ迷いなくミットへ向かって走ってゆくように。
 おうコラ遊んでんなよ、と花井が呆れた様子で床にカバンを下ろした拍子に、三橋の頭に築かれた田島タワーが崩れた。田島が花井に非難の目を向け、巣山と西広が笑った。三橋は眠っている。こどもみたいに細くやわらかな寝息を立てている。
 阿部は手を伸ばし、起きろ三橋、と不機嫌に言って色素の薄いその髪の毛をぐしゃぐしゃ掻き回した。一生懸命教えてやっていたのに目の前で眠りこけられて、むかつきこそすれうれしいはずがない。うれしくなんかねえぞオレは。ぜんっぜん、うれしくねえからな!

 

 2007.11.29
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