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人として、男として、何より野球部員として、赤点厳禁。わかっちゃいるけど、ぶっちゃけ授業中超眠い。監督にも顧問にも釘をさされているし期末試験が近いしそう褒められたものじゃない自分の学力もわかっているから授業を聞いておかないことにはいろいろやばいのだが、まあとにかく半端なく眠い。
気を抜くとあっという間に完全閉鎖しようとするまぶたを懸命に制止しながら、泉はノートにシャーペンを走らせる。三列向こうで前後並んで座っている田島と三橋を見ると、二人ともさっきまでは頭をぐらぐら揺らしながらもどうにか授業に参加していたが、すでに仲良くそろって机に沈んでいた。意志弱えー。つーか睡魔強えー。
しかし二人を笑う余裕なんて泉にはない、このままでは自分もあと数分で完全に落ちる。教師の話す言葉はもはや異国の子守歌のよう、いや実際英語だから異国の言葉なんだけど。
やべえ寝る、と危機感を覚えて泉は窓のほうに視線を移す。何か気をまぎらわせるものでもあればと思ったら、あった。窓の外ではなく中に。
窓際の席で、浜田のでかい図体が机に覆い被さっていた。明らかに寝ている。なんでオメーが寝てんだよと思って泉はすこし目が覚めた。毎朝四時半起きの身でもないくせに(そりゃたまに朝練に顔出してっけど)肉体を酷使しているわけでもないくせに(そりゃあ部活でよくランナーとか手伝ってもらってっけど)むかつくんだよこの浜ダブリ!
泉はノートの白紙のページを一枚やぶると、トリプルになんぞと赤ペンで書き殴り、むしろなれと呪いを込めてグシャグシャと固く丸めた。泉の魂胆に気づいた隣の女子がちいさく笑っている。
教師が背を向けた隙に泉は浜田の頭に狙いを定めて腕を振りかぶったが、丸めたノートを投げる寸前、浜田は大きく肩を震わせて自力でいきなり起きた。が、すでにモーションに入っていた泉は手を止めることができず(止める意志もさしてなく)そのまま腕を振りきる。紙玉は乾いた音を立てて浜田の机の中心を直撃した。まだ浜田が寝ていれば確実に頭に当たっていた、惜っしーな、と泉は本気で舌打ちをした。
浜田は寝ぼけまなこで一度泉のほうを見、床に落ちた紙玉を拾ってもたもたと広げて赤字のメッセージを読み、それでちゃんと目を覚ましたようだった。縁起でもねーこと言うなと顔に書いて抗議の目を向けてくるのを思いきりにらみ返してやれば、途端に強気は崩れてエヘーと情けなく笑う。その態度が何かに似ているとふと思う。
泉は邪険に浜田から目を逸らした。あ、犬がしっぽ振ってんのに似てんだ、と思った。犬は好きだが浜田みたいに頭の悪いかわいくもない大型犬はいやだ。もともととても賢いはずが飼い主のせいでアホに育ってしまった悲劇のレトリバーを見たことがあるが、あれはあれでかわいかった、たとえ人の足を踏んで歩いても。だけど浜田はただでかいだけのアホだから絶対いやだ。
あーやっぱアイちゃんだよなーかわいいよなアイちゃん、とか無駄になごんでいるうちに二時間目終了のチャイムが鳴った。睡魔には勝ったが気づけば授業はろくに聞いていなくて、結局いまの一時間は究極的に無意味。
(くっそテメー浜田!)
完全な逆恨みでまた浜田をにらみつけると、彼はちょうど席を立って泉のほうへ向かってきていた。はいこれ、と浜田が差し出したのは、いま終わったばかりのグラマーと、一時間目の生物のノートだ。
「なに」
「おまえら疲れてっから授業どうしても寝ちゃうだろ。ほかの教科のもちゃんと取ってあっから」
「……オメーだって寝てたろ」
「いやさっきのはたまたまだって! ちょっと気ィ抜けただけだって! つーかおまえほんとトリプルとか言うな」
浜田の言い訳を聞き流しながら、泉は手渡されたノートを見る。ただ黒板を写しただけじゃなく、教師が口頭で説明したポイントもところどころ書き込まれていた。
そういえば、泉が予定通り西浦に入学して予想外に浜田と同じクラスになった当時は、元先輩の居眠りする姿なんてそうめずらしくもなかった。オメーまたダブんぞ、と何度もあきれた覚えがある。
机を抱え込むように堂々とうつぶせる目立つその背を、最近は滅多に見ないようになっていたことに気づいた。この頃の浜田は、いつも妙にまじめに授業に取り組んでいたように思う。たぶん、援団を始めたあたりから。
「汚ねー字」
「おまえね」
「三橋と田島にもコピってやっていい?」
当たり前だろ、と浜田は眠たそうな目で笑った。
「ありがとな」
勝てよ、と言って浜田は席に戻っていった。後ろの席の男子に次始まったら起こしてと頼み、ソッコーで机に突っ伏していた。
オメーに言われなくても、と泉は浜田の置いていったノートを両手で強く握る。汚い字をひと文字ひと文字目で追ううち、オメーが言うなら必ず、とも、思った。
2008.4.10
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