緑葉にふるえる朝露のように清ら、したたか
頬も胸も桜色であふれるような神聖なあこがれであって、恋ではない。欲はまったく無用の長物で差しはさむ余地がなかった。カッコイイ、という耳慣れた陳腐な言葉にすべてが集約されていると思った。
彼らはとてもカッコイイ。
けれど恋することを許さない彼らがすこし憎たらしいような気もした。とても近しく、そして遠くて仕方ない男の子たち。
友人にあきれられるのはもう慣れた。よくやるよねえちよ。感心されるのにもとっくに慣れた。つーか篠岡それもうオカンのレベルじゃんマジ尊敬するわ!
毎日身体はへとへとにもなるけれど、こんな疲労は彼らの半分にもならないと思えばこころは何倍も奮い立つ。こころが平気なら身体なんてどうとでもなった。人間の構造は愉快で便利で単純だ。
昼休みの孤独な草刈り修行も苦ではなかった、腰は痛むけれど。額を頬を顎を汗が伝い落ちるたび、化粧をしていない解放感を晴れ晴れと思った。人生たかが十五年ですでに母親以上のメイク術を身につけた何人かの友人は千代に化粧を勧めてやまないけれど、愛用のウォーターインリップクリーム一本を大事にポケットにしまっておけば十分だった。
雑草をつかみ、根元から刈って、脇へ放る。つかみ、刈り、放る。放った先にいくつかできたちいさな山をときどき一ヵ所にまとめて大きな山にする。エンドレス。
目に入った汗を軍手の甲でぬぐい、ふと気配を感じて巨大な麦わら帽子のつばを持ち上げて顔を上げると、男の子たちのうちの誰かが、ふたりさんにん立っていることがある。必ず連れ立ってくる。誰であれ、ひとりだったことはまだない。マネージャーの孤独と疲労の心配なんてしてくれなくていいのに、と思う。
男の子たちは楽しそうにぎゃはぎゃは騒ぎながら草を抜く。暑い日ほどみんな徐々に何かが振り切れて、そのうち投げつけ合いになることも多いのであまりはかどらない。
男の子たちが根っこから抜いた雑草の束をうっかり放置して、夕立のあとにまた根付いてしまったことがある。男の子たちはそろって雑草の生命力を称えたけれど、「雑草魂! 雑草魂!」、結局最後には自分たちが困るのだった。
午後の部活前には、水飲み場から長いホースを引いてグラウンドに水を撒く。これでもかと撒く。
「しのーかーアーチつくって! 下くぐるから!」
田島がダッシュで猛然と、三橋や水谷がふらふらと水につられて寄ってくることがあるけれど、花井や阿部や泉にあっという間に連れ戻される。田島は要領がよくてすばしこいので、つかまる前にアーチくぐりに成功して涼しい思いができたりもする。キャプテンの声が飛ぶ。
「まじめにやれ田島ァ! マネージャーもつき合わなくていいから!」
今年も水不足が心配されているからグラウンドの水撒きは控えるように、と体育教師一同からお達しがあったときは、考えるより先に身体が動いて体育教官室に抗議に乗り込んでいた。教師が直接グラウンドを訪れてそう抜かしやがったのではなく、グラウンド用のスピーカーを通して一方的に言い渡されたのでこちらから出向くしかなかったのだ。
水不足はわかりますけど重大ですけど水を撒かないと土埃がひどくて練習になりません第一グランドのサッカー部と陸上部はスプリンクラー使い放題じゃないですかあれは許すんですか説明してください! と自分たちの都合のみをおそらく鬼みたいな形相でまくし立てたことを思うと、いまでも恥ずかしくて顔から火が出そうになる。教師たちどころか、同じく抗議にきていたラグビー部マネージャーの三年生まで一瞬動きが止まっていた。必要最小限に、ということでものの一分で話をつけて教官室を退室した途端、ラグビー部マネージャーにばんばん背中を叩かれた。
「あんたすごい! 超うけた! 超かわいい! ありがとお!」
あまりにもわかりやすいギャルギャルしい外見がグラウンド内でも群を抜いて目立っていてこわかったので、顔を合わせても挨拶をするだけで避けていた彼女を、ちょっと好きになった。そしていまの勢いと勇気があれば私はあのときセーラー服が買えたのにといまさら無駄な後悔をした。
それなりに家事を手伝ってきたので料理はできたけれど、あらためて考えてみるとおにぎりなんて数えるほどしか握ったことがなかった。行事毎の弁当は母親がつくってくれていたし、家では茶碗でご飯を食べるのだからおにぎりの必要がないのは考えなくても当たり前なのだけれど、米を研いだり味噌汁をつくったり卵焼きやホワイトシチューや肉豆腐は普通なのにおにぎりはあまり握ったことがないなんてなんだか不思議な気がした。
おにぎりはどうやったら上手に三角形にできるのと訊いたら、母はほがらかに笑った。おにぎりに上手も何もないけどねえ、おばーちゃんの握ったおにぎりはすごくおいしいんだよ、と言った。
もうひとりぐらいマネジいたら、ちよも楽なのにねえ。
友人がある日言った。心臓が気味の悪いほど大きな音を立てた。骨の内側から胸を叩かれたみたいだった。そんなことは誰の目にも明らかで、当然すぎるからわざわざ口にする人もいままで皆無だったのだ。意識して口を閉ざしていたのは自分だけ。
親しい友人たちがみんな部活動をしていてよかったと思った。現在の千代の大変さを知っているからこそフリーの身でなければ手伝いなどとても無理だと正しく割り切ってくれて、半端な親切心で手を差し伸べたりする友人たちでなくて本当によかったと、みにくく思った。
「あ、サンキューマネージャ」
麦茶の入ったジャグタンクをベンチに置くと、そばにいた花井がタオルで顔をふきながら言った。
かっこいい男の子たち。恋ではない。男の子たちが勝つことだけを望んでいる。マネージャーと呼ばれればすなわち篠岡千代という唯一であること、なんて、ゆずれないほどの望みではありません。
おにぎりを頬ばる男の子たちの笑顔を眺めながら、マッチ箱を片手にすこし途方に暮れた。いま、自分に嘘をついた気がした。ああどうしよう、蚊取り線香が切れている。
2008.1.21
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