僕たち男の子
秋晴れの朝の通学路を、月森はぺたんこの鞄を脇に抱え、今朝見た夢の余韻にひたりながら背筋を伸ばして歩く。余韻というか、ダメージ。ほんとはちょっと猫背になりたい。
里中とプロレスして負ける夢を見ました。大人げなくというか男らしくなくというか(いっそ男らしいというか!)ガチでやってガチで負けました。そして精神的にしばらく立ち直れない、身体的にもすぐには立ち上がれないぐらいのパーフェクトな敗北のあと、ごめんね本気出しちゃって、と心底申し訳なさそうに里中に謝られるという。夢とはいえへこむ! ていうか里中にすごい失礼じゃないのか俺!
そういうダメージを引きずっているので、鞄は軽くとも心は重い。なぜ鞄が軽いのかというと、花村や完二に倣ってはじめて「置き勉」なるものをしてみたからだ。したくてしたのではなく、昨日は掃除当番が長引いたせいで猛ダッシュで部活に向かうはめになり(遅刻一分につきボール磨き一個追加のシビアな罰則が!)、机の中の教科書類を鞄に詰める手間すら惜しんで後回しにした結果、部活後に教室に戻るのをすっかり忘れて下校してしまったという初歩的ミステーク。途中で気づいたが引き返すのが面倒で、疲れた身体に軽い鞄て快適だなあと小さな幸せを味わいつつそのまま帰宅したら、当たり前だが宿題ができなかった。なぜにこんな単純明快なカラクリに気づかないのか俺。罠?(なんの、そして誰の)
そんなわけで今日は学校に行ってから宿題を片付けなくてはならず、早めに家を出るつもりだったのに、例の悪夢のせいか滅多にしない寝坊を狙ったようにして、結局いつもと同じ時間に通学路を歩いている月森である。仕方なく、各授業前の休み時間ごとにマッハで宿題を始末する算段を頭の中でつける。
いまからでも走ればそれなりの余裕を持って学校に着くことができ、必然的に宿題をやる時間も増えるのだが、朝から走って汗をかくなんて健康的な選択肢は月森の中にはない。そして潔く宿題忘れのお叱りを受けるという選択肢もないあたり、自分は根っからの優等生体質だなあと思う。というか、ナチュラル・ボーン・小心者。
青空に向かって溜め息をついてから視線を通学路に戻すと、すこし前を行く隣のクラスのカップルが目に入った。人目をはばからずラブラブと恋人つなぎをしている二人の手のあいだを爽やかに通過(「やあ、おはよう!」)してやりたいなんて思わないけれど、いやほんとぜんぜん思ってませんけど、羨ましい。俺も彼女と恋人つなぎで登校したいなあと月森は思う。ていうかまず彼女が欲しい。ていうかまず、モテたい。
「だって男の子だもん」
真顔で呟いたところで、先輩キモイっすよ、と後ろから声がかかった。思わず立ち止まった途端に勢いよく誰かに追突されて、月森は一歩よろける。そうとわからない程度にぼんやり眉をひそめて振り返ると、こちらはわかりやすく顔をしかめた完二が立っていた。
「急に止まんな、危ねえじゃねえスか」
「お前が失礼なこと言うからだ、年上は敬え」
「ときと場合と相手によるっス」
至って冷静に切り返してくる完二の物言いは、最近すこし白鐘に似てきた気がする。非常に微笑ましくはあるのだが、若干迷惑だ。
「男に生まれたからには女の子にキャーキャー言われたいと思わないか」
「朝っぱらから幸せな頭してるっスね」
並んで歩き出しながら至極真面目に月森が言うと、完二は実に興味なさそうにあくびを噛み殺した。お前は男をわかってないな!
「つか先輩もう十分モテてんじゃねえスか?」
「ゲタ箱にゼリーとか米とか突っ込まれてもときめく余地がない。びびる。そういう若干こわいのじゃなくてだな、毎日部活見にきてるしゃべったことないほかのクラスの女子が俺と目が合うたびに顔赤くしてうつむくとか、廊下で一年女子の集団に呼び止められてその中のいちばんおとなしそうな子が早く渡しなよーとかほかの子にせっつかれてラブレターくれるんだけどその手が超震えててキュンとするとか、」
「夢見すぎっス。つか妄想キモいっス」
「妄想言うんじゃねえ。とにかく、そういうベタなのがいいんだ」
「はあ、ベタねえ……」
完二は心底どうでもよさそうに、ぐああああ、とでかい口をあけて豪快にあくびをする。それを見た登校中の八高生たちが、同級生上級生問わず逃げるように足早に完二と月森を追い越し、あるいはあからさまに歩調を緩めて後方へと距離を取っていく。見た目アレですけど意外と無害なんでそんな避難しなくても大丈夫ですよと月森は思ったけれど、隣の完二を見れば確かに取って食われそうな気がしないでもない。あくびしながら白目を剥くとか器用な真似はよせ。
おかげで八高生の姿であふれる通学路は、月森と完二の半径五メートル以内には誰もいないという奇妙かつわかりやすい様相を呈していた。ドーナツ、あるいはスプロール現象。この完二専用特殊スキル(バステかつ万能にして自動効果!)が人間だけでなくシャドウにも通用すれば、探索がものすごく楽になるのに。
「ゲタ箱にプレゼントってのも究極のベタだと思いますけど」
「でも米だぞ。しかも食ったらうまさのあまり昇天する類いの。比喩でなく!」
「まあ靴入ってるとこに食いもん詰めんのはどうかと思いますけど。って、あんたまさかそれ捨ててんじゃねーだろうな。食いもん粗末にすんじゃねえぞ」
「巽くん、きみは本当に根はいい人なんですね」
月森がしみじみ言うと、目に見えて顔を火照らせた完二が、あァ!? と照れ隠しのように歯を剥き出した。二人の周囲からはますます人が遠ざかる。
「捨てるわけないだろう、有効に使わせてもらってる。今度ミステリーフードわけてやろうか」
「いらねえ」
「好き嫌いはよくないですよ、巽くん」
「好き嫌いで言ってんじゃねえ。つかさっきからちょくちょくなんなんスか、その口調」
「お前の気になるナオちゃんのマネだ」
その後、どこからともなく取り出した八高デスクを無言でぶん回しながらマハ殺気ダインを放って追いかけてくる完二から死ぬ気で逃げたおかげで、学校にはあっという間に着き、無事宿題を終えることができました。
白鐘直斗による余談。
今日の探索中、巽くんはとても献身的に月森さんを庇っていました、例の飛び蹴りで。「むしろ死ぬから! 手加減したげて!」と本気で青ざめていた花村さんに同意です。
巽くんはよほど調子がよかったようで、奇跡の全戦連続クリティカル記録を樹立、シャドウをぶん殴ってすっ飛んだ八高デスクは、狙ったようにことごとく月森さんの上に落ちていました。
「悪かった完二、マジ反省してる!」
涙目の月森さんというものをはじめて見ました。二人のあいだに何があったかは、あまり知りたくありません。 |
2009.3.27
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