ぴよぴよさえずる目覚まし時計を手探りで止めて、布団にもぐったまま今日の予定を頭のなかで確認して、びっくりした。確認ミスじゃないことをしつこく三回確認して、超目が覚めた。
 信じられん、本日の予定がまったくの白紙なのですが!
 この町に越してきてからこっち、うっかりテレビに手を突っ込んだり部活を掛け持ちしたり金策に追われてむやみにバイトを増やしたりした結果、動いてないと死ぬ生き物みたいに常に予定がぎゅうぎゅうだったのに、今日は朝から晩まで本気で何もない。
 本当は白鐘と一緒に例のカードの調査をする約束だったのだが(名探偵の助手! ときめく!)、昨夜電話がかかってきて丁重にキャンセルされたのだ。テレビの事件の解決こそが現在の最重要事項だから、あなたはそっちに集中してください、と言われた。謎の人物からカードを預かって白鐘に届けた当人である手前、調査にも加わる気まんまんだったのでちょっと残念だった。いくら白鐘が優秀な探偵とはいっても単独で行動させるのは心配だし、正直カードの謎にも興味がある。
 でも白鐘は頑なに共同調査を突っぱねたわけではなく、まずはひとりで調べてみます、と言った。いずれ助けが必要になったときは、きっと呼んでくれるだろう。だから明日の約束については食い下がらずにおいたが、白鐘の事件を手伝うことを余計な手間とは思わないと、それだけはちゃんと伝えておいた。そこは譲れないのです。
 白鐘は引き締まった声で、ありがとうございますと丁寧に言って電話を切った。でもすこしだけ照れているように聞こえたのは気のせいじゃないと思う。そこではっきり嬉しいと表現できない白鐘はかわいい。
 昨夜の白鐘との電話を思い出して布団のなかでにやにやしていたら、枕元のひよこ目覚ましがまたぴよぴよと騒ぎ始めた。ひよこの頭についたボタンを押しただけでは完全には止まらず、おしりのスイッチもオフにしないと五分後にまた鳴き出す仕組みだ。
 おもちゃみたいな見た目にそぐわず結構本格的なこの目覚まし時計は、菜々子とお揃いである。菜々子の部屋にあるのを見て、かわいくていいなと言ったのが叔父さんに伝わったらしく、後日三人でジュネスに行ったときに買ってもらってしまった。嬉しかったけど、男子高校生がこれを使うということに微塵も疑問を感じていない様子の叔父さんのにこやかな顔がちょっと居心地悪かった。ジュネスのインテリアコーナーのサービス品、六百八十円也。
 ひよこのおしりのスイッチを切り、布団をたたんで部屋を出ると、菜々子が階段の下から顔を覗かせていた。
「おはよー、お兄ちゃん」
「おはよう菜々子」
 菜々子はもうちゃんと着替えていて、ちょうど顔を洗って洗面所から出てきたところだったのだろう、前髪がすこし濡れておでこに張りついていた。日曜の朝でも平日と同じ時間に起きててきぱきと身支度ができる子なのだ、すばらしい。かわいい。見習いたまえ、全国の小中高校生諸君!(と、パジャマ姿でほっぺたに枕のしわのあとをつけたまま思う兄なのだった。まる)
「昨日、お父さん帰ってこなかったみたい」
「そうか。遅くなるけど帰るって言ってたのにな。着替え届けたほうがいいかな」
「今日ね、みっちゃんと、みっちゃんのお母さんとジュネスのハロウィン見にいくの。そのときに届けてくる」
「荷物邪魔にならない?」
「ジュネスにいく前に届けるから平気だよ」
「じゃあ頼むな、ありがとう。ハロウィン楽しいといいな」
「うん!」
 朝食の目玉焼きを食べながら、菜々子は満面の笑みで頷いた。
 ジュネスでは十月早々からハロウィンの飾りつけをして、週末ごとにちょっとした催し物を行っているらしい。ハロウィン当日には大掛りなイベントもやるようで、ぜひとも手伝ってくれ的なオーラをそこはかとなく花村から感じるのだが、いまのところ華麗にスルーしているので詳しいことは知らない。まあ菜々子の喜ぶ顔が見られるならジャック・ランタンの貸し出しもやぶさかではないがな!
 朝食の後片付けをしてから菜々子の髪を結んでやり、ふたりで洗濯物を干して、しばらくテレビを見てから菜々子を送り出した。
 菜々子が出かけてテレビも消えた家は急に静かだ。さわやかな秋の日差しのなかでひらひらしている庭の洗濯物を眺める。流しの蛇口から水滴の垂れる音が、背後でかすかに跳ねた。
 せっかく家にいるんだから家事をしようととりあえず威勢良く掃除機をかけ始めてみたが、どうにも集中できず、居間と台所を半分やっただけで飽きてしまった。掃除機を片して意味もなく居間の座布団に正座する。なんだかちょっとおろおろした。
 こんなにやることがない真っ白の休日なんて、ここにきてからはじめてのような気がする。本当はすべきことはいくらでもあるのだろうが、このあいだ中間試験が終わったばかりで気が抜けているせいか、何か用事を探そうという気も起きない。
 そもそもわざわざ用事を探すというのもどうなんだ。ヒマのひとつも持て余せないなんて男としてかっこ悪い気がする。別にひとりで家にいるときにかっこつける必要なんてないけど。
 しばらくそわそわ思い悩んだ末に、今日は一日ヒマでいようと決めた。
 よし、ごろごろするぞ、と意気込んでソファに寝そべり、テレビをつける。一週間のまとめ的なワイドショーが結構おもしろくて、案外簡単に時間が潰せた。
 昼食はカップラーメンで済ませた。よし、次は昼寝だ、とまた意気込んで、自分の部屋から毛布と枕を持ってくる。部屋の布団でちゃんと寝るんじゃなくて居間で適当に寝るほうが昼寝っぽい気がする。
 ソファではなくあえて畳の上に寝転がって毛布にくるまった。昼寝とは、昼寝をするぞ! とか気合いを入れて準備して眠れるものなんだろうかとどうしようもない疑問が浮かんだが、いらん心配だった。
 どうやら爆睡しました。玄関のチャイムの音でものすごくびっくりして目が覚めたので。
 時計を見ると、午後二時を過ぎたところだった。またチャイムが鳴る。
 慌てて玄関に走って扉をあけて、なんだか損した気分になった。
「なんだ、花村か」
 なんだってなんだよ! とお約束の反応が返ってくると思ったのに、花村は何も言い返さず、かわりになぜかびくっと顔を強張らせた。驚いているみたいだったけど、口の端がちょっと震えているのは笑いをこらえているようにも見える。
「わり、寝てた?」
「昼寝してた」
 寝ていたことをすぐに見破られたので、またほっぺたに枕のあとがついているのかもしれない。最近新調した枕カバーがすこし大きくてしわになりやすいので、よく顔にあとがついてしまうのだ。
「ヒマならどっかいかね?」
 花村のお決まりの台詞を聞いて、そうかいままでは花村がこうやって誘ってきた瞬間にヒマな休日がヒマではなくなっていたんだな、なんて急に悟りをひらいたみたいに思った。無人島に人が上陸した瞬間そこは無人島ではなくなるっていうのと同じだ。すごい、こういうのをなんとかの法則とか理論とかいうんじゃなかったっけ。え、ただの屁理屈ですか?
 しかし今日に限っては、花村に誘われるままヒマでなくなるわけにはいかないのだ。
「だが断る」
「お前それ言いたいだけだろ。ヒマなんだろ?」
「ヒマなんだ。だから今日はこのヒマを死守することに決めたんだ」
「ふうん。お前ってやっぱ変なことばっか考えてんのな」
 変なこと、と一蹴して、花村は玄関のなかに入ってくるとガラガラピシャンと扉を閉めた。変なこととはなんだ。しかも「やっぱ」だの「ばっか」だの聞き捨てならない。
 花村は当たり前に靴を脱ぐと、続いてごく自然にジャケットも脱ぎながら、自分のうちに帰ってきたみたいに堂々と廊下を進んでいく。しょうがないので、ほっぺたのあとを気にしながらあとを追いかけた。
「こんちはー。あれ、菜々子ちゃんは?」
「遊びにいってる」
 ジュネスのハロウィン見物に、とは言わないでおいた。花村は催し物の手伝いはいいのか、という疑問にも固く口をつぐんだ。ハロウィン当日のバイト勧誘の口火を自ら切ってしまうことになる。経験則としてジュネスの臨時アルバイトは、花村に必要とされればされるほどその業務内容は過酷さを増すのである。
「はは、ガチで寝てたんだな」
 居間の枕と毛布を見て花村が笑う。ちょっとは悪びれろ。
「超ぐっすりだったのに」
「悪かったって。でも昼寝なんてしてんのもったいないぐらいいい天気よ?」
「と言いつつ昼過ぎまで寝ていた花村陽介なのであった」
「なんで知ってんだよ!」
「花村ってほんと意外性がないよな。顔洗ってくる」
 何かきゃんきゃん言い返してくる花村を無視して洗面所に向かう。洗面台の鏡を見た瞬間、「ああー……」と思わず間抜けな声を漏らしてしまった。さっき花村が玄関先で、笑いをこらえるようなおかしな顔をしていた理由がわかった。
 今朝菜々子の髪を結んでやったとき、菜々子がふざけてお返しをしてくれたのをすっかり忘れていた。真っ赤なイチゴの飾りのついたヘアゴムで結ばれた前髪は、完全にパイナップル状態である。
 恥ずかしい姿を見られたと認めるのは癪な気がして、手早く顔を洗い、そのままの髪型で居間に戻った。居間の座布団にあぐらをかいて勝手にテレビのチャンネルをあちこち回していた花村は、やっぱりまた笑いたそうな顔をした。笑いたいなら笑ってくれて構わなくてよ、ジュネスの王子様。
「しかしそこまでの勇気はないわけだな」
「え?」
「だからガッカリとか言われるんだ」
「なんか話見えないけど悪口言ってるよね!?」
「言ってない」
 完全に疑いの目を向けてくる花村の隣にしゃがみ込む。トレードマークみたいにその首にかかったヘッドホンを無言で引っ張ると、花村はやめろよーと小学生みたいに言って、慌ててヘッドホンをはずして座卓の隅に避難させた。
「イタズラ禁止!」
「へえい」
「返事はハイ!」
「はあい」
 幼稚園の先生みたいなことを言いながら睨んでくる花村の目からは、さっきの疑いはころっと消え失せている。ちょろいなあと思いながら座布団を引き寄せて座り、座卓の上に突っ伏した。なんだよー寝るなよーと花村がまた小学生みたいな物言いで肩を揺すってきたので、顔だけ花村のほうへ向ける。眠たいわけではないけれど今日はヒマを貫き通すと決めたので、全力でぐだぐだしていなくてはならないのだ。変なところで律儀だとよく言われます。
「マジで一日家にこもってる気か?」
「うん」
「もったいねえと思うけどなー」
「花村はどこでも好きなところへ遊びにいけばいい」
「ひどいこと言うよねお前。このジャージって前の学校のやつ?」
 大して傷ついた様子もなく、花村がジャージの襟を引っ張ってくる。
「そう。部屋着にちょうどいい」
「だよな。俺も中学のときの着てたぜ、すっげだせえの。サイズ合うっぽいからこないだクマにやったんだけど壮っ絶に似合わなくてさ」
 花村がケラケラ笑う。壮絶に似合わないださい学校指定ジャージを着た金髪美少年の姿を想像し、今度見にいこうと思った。
「そういやくるとき、河原で里中と天城見たぜ」
「修行する女子ってかわいいよな」
「同意を求められるとちょっと困るのですが」
「家業の手伝いを一生懸命する子もかわいい」
「それはわかる。天城ほどじゃないけど俺も店のこと考えたりするから親近感もわくっつーか」
「花村はかわいくないよ」
「うるせ」
 花村チョップがビシ、と首に決まった。痛い。
「花村くんもかわいいです」
「いらねーよそんな訂正。つかお前はかわいいを安売りしすぎ」
「本人に面と向かっては言えないぞ。俺はシャイボーイだからな!」
 威張って答えると、花村はなんだかすごく生ぬるい笑顔になった。その目線が上に逸れ、パイナップルの前髪あたりをさまよう。
「お前、前髪邪魔そうだもんな」
 そうきたか。花村くんはこのキュートな髪型が気になってしょうがないのね。
「シャイだからなるべく人と目が合わないように前髪伸ばしてるとか実は前髪あげたら美少女とかの少女漫画設定はない」
「誰が美少女なんだよ」
「これは菜々子と結び合いっこしただけだ」
「里中のちっさいときの写真にそういう髪してんのあったな」
「いつ見たんだそんなの!」
「こないだたまたま」
「ずるいぞ!」
「さわってもいい?」
 俺にも見せろその写真! とか全力で思っていたので、花村の脈絡のない要求への反応はだいぶ遅れた。さわるって何を、と訝りながら座卓にへばりついていた身体を起こしたときにはすでに花村の手が目の前にあった。あ、ささくれ発見。
 身を引く間もなく、生あたたかいてのひらが額に当てられる。
「…………」
「…………」
 なにこの図。正しい解答を以下のなかから選んで記号で答えなさい。
A.熱を計っている。
B.記憶を消している。
C.新興宗教の怪しげな勧誘。
D.花村くんは月森くんのことが好き。
「Dだな!」
「は?」
 バン、と座卓の上の見えない解答ボタンを早押しして叫ぶと、花村は一瞬びびったように肩を揺らしてから、変なものを見る目を向けてきた。
「どした、大丈夫か?」
「こっちの台詞だ。なんだこの手」
「いや、お前のおでこってレアだよなあと思って。なんかご利益とかありそうじゃん」
「仏像か。気の毒だけどいま頃さわったってテストの点はよくならないぞ」
「お前ってほんと何かと俺にひどいよな!」
 花村が恨みがましい声を上げながらも手を引っ込めようとしないので、こっちからも花村の顔に手を伸ばしてみた。前髪の分け目から覗く額に狙いを定め、力いっぱいデコピンの構えをする。素早く目玉を動かして事態を把握した花村が露骨に顔を引きつらせた。
「えっこれどういう図?」
「以下のなかから正しい答えを選びなさい。
A.デコピン(弱)
B.デコピン(中)
C.デコピン(強)
D.月森くんは花村くんのことが好き」
「意味わかんねーから!」
 花村が解答権を放棄して逃げ出そうとしたので、あいている片手ですかさず胸倉をつかまえた。ぎゃーと花村がちょっと本気っぽい悲鳴を上げる。
「ちなみにCのデコピンはアブルリーを吹っ飛ばせる」
「うそでしょ!?」
「試す?」
「試さない! 試さない! Dでお願いします!」
「ブー。時間切れー」
 デコピン発動寸前の中指と親指に手が小刻みに震えるほど力を込めると、花村はあろうことかぎゅっと目をつぶって歯を食いしばった。敵の目の前で目をつぶるとかお前! 潔いにもほどがあるぞ、ただのアホだぞ、死んじゃうぞ! と、呆れながら、ためらいなくデコピン(弱)を見舞ってやった。
「いってえっ!!」
 ここはテレビのなかではなくて平和な我が家の居間だから、敵前で目をつぶるなんて自殺行為をしても別に死んだりしないのである。しかしこんな目と鼻の先で無抵抗になられたりすると、お年頃の男子としてはキスぐらいしたくなってしまうので、絶対に安全とは言い切れないけれど。
「手加減しろよ!」
「したよ。いまのは弱だ」
 赤くなった額を両手で押さえた花村はいかにも反論したそうな顔をしていたが、そんなことをすれば墓穴を掘るだけだとわかっているらしく(「じゃあやっぱり強も試してみる?」)、アヒル口になって黙った。が、五秒とせずにまた騒ぎ出す。頭の隅に、ぴよぴよ騒ぐひよこ目覚ましが浮かんだ。
「さっきの答えDであってんだよな?」
「時間切れだから不正解」
「間に合ってたらDだったんだろっての」
「D.花村くんは月森くんのことが好き」
「逆だろ!」
 あんまり変わらないと思うけど。と、思いながら花村に近づこうとしたら、座布団ごと後ずさられた。どっちがどっちをなんて、言葉の上での順番なんてもはや無意味なのに、花村だってわかっているはずなのに、ジュネスの王子様は往生際が悪いのである。そのくせ自分から話を蒸し返してしまったりするので、実にうっかりでがっかりなのである。
「花村は俺にさわりたくて、俺は花村にキスがしたい。何も問題がない」
「なんの話!?」
 花村が座卓に置いていたヘッドホンをつかんで本格的に逃走する姿勢を見せたので、特捜隊屈指のスピードを誇る厄介なその動きに全神経を集中させる。
「ここで逃がしたらリーダーの名折れだからな」
「本気の目はやめて!」
 ヒマな休日って楽しいな、と思った。

 

 

 2013.2.11
 ×