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 あーあーモテそうなのがきたよ、というのが第一印象。落ち武者呼ばわりされた転校生は取り立てて表情を変えず視線だけをわずかに動かして隣に立つモロキンを見た、あれはその気になれば理詰めの大人などひと睨みで黙らせられるタマだなと、花村は半ば感心しつつ眉をひそめた。
 転校生が花村たちクラスメートのほうに視線を戻し、たぶん誰を見るでもなく教室の後ろの掲示板あたりに視線を据えて、よろしくお願いしますと低いとも高いともつかない癖も濁りもない声で挨拶をした。目立った歓迎の声こそ上がらないが女子どもの気配がすでに騒がしい。どうして女は“クール”という部類の男に弱いのだろう。つーかそれ以前に顔か。顔ですか。人は見た目が十割ってね!
 深々(しんしん)とした目元口元高めの鼻、重たい前髪が額と眉を隠しているおかげで薄い表情がますます“クール”な、しかしパーフェクトと言ってしまえば言い過ぎの微妙に隙を残した顔立ちが却って人好きするだろう暫定美形の転校生は、里中の余計な助け船のせいで、よりにもよって花村の前の席に落ち着くことになってしまった。この先一年間席替えなし、都会からきた者同士という周囲からのレッテル、まったく望みもしないのに花村と転校生とのつながりがいま確実にできてしまった。
 くそ、かかわりたくない。花村はぐったりと机に顎をのせ、近づいてくる転校生を上目使いに見る。他人がどうだかは知らないが、花村にとって、表面的に手広くそつなくかかわりを持つことほど疲労を生む関係性はない。なぜなら俺にはそんな付き合い方ばかりしてきた自分を悔いたり蔑むだけの良心や良識が、けれど改められない怠惰さと薄情さが。ああもう面倒くさい。
 花村の目の前の椅子を引き、座ろうとして、転校生は一瞬だけ花村を見下ろした。そのとき花村はようやく気がついた。こいつ今朝オトコの激痛に苦しんでた俺のそばをノーリアクションで通り過ぎてったやつじゃんか。そっとしておこう、みたいな妙に静々した態度取りやがってローファーだっつのに足音もろくにしなかったぞこんにゃろう(つっか俺もよくそんなん見てる余裕ありましたよね、いまのいままで忘れてたけど)。そこは精神的な配慮じゃなくて物理的に助けろよ、同じ痛みを知る男として! あのダメージ食らって遅刻しなかった自分をソンケーするね俺は。
 花村がそんな恨み言を唱えながら見上げているなど露ほども知らないだろう転校生は、かち合った視線を逸らさないまま軽く目礼し、そして背を向けてすとんと席に収まった。
 いま! 超っ絶、無表情だったくせに! 大事なくて何よりです、みたいな生ぬるーいやさしーい電波を受信した気がするんですけど! ううううあ屈辱!
 こいつの背中をこれから一年間見続けるとかどんな罰ゲーム、と本気で苦手意識というか謂れのない劣等感というかとにかく友人関係を築く上で多大な障害を一瞬にして一方的に抱えたのはいまだ記憶に新しい、なのにわずか二ヵ月後の現在、その転校生宅の居間や彼の自室に上がり込むのにもはやなんの抵抗もなくなろうとは。むしろ存分にくつろいでしまっていようとは。
 菜々子と一緒に堂島家の居間でぼけーとテレビを眺めながら、花村は現状の不可解さにいまさらながら首をひねる。かかわりたくないと心底思ったのに結局こっちから近づいて巻き込んで、苦手なジャンルの人間だという認識はいまも変わらないが、なぜだかあいつに限り受け入れるのもさらけ出すのも平気だった。平気どころか、無条件で信頼できると孵化したてのヒナの刷り込みのごとく思ってしまっている。天然系の魅力がどうたらと里中が以前言っていた、相手が女の子ならまだしも同性のそんなものにアテられたなど鳥肌が立つが、転校生には確かに人を引きつける何かがあるのだろう。そうでなければ、あんな飄々と中身の知れないやつとつるんでいられるわけがない。何しろ知り合って約二ヵ月、いまだに笑った顔を見たことがない。
「菜々子ちゃんのお兄ちゃんてちょっと能面ぽいよね」
 小さな人差し指で一行一行文字を追いながら熱心に新聞のテレビ番組表を見ていた菜々子に話しかけると、菜々子は顔を上げてくるんと目を丸くした。
「のうめん?」
「笑ったり泣いたり怒ったりしないよねってこと」
 無意識にか、菜々子はてのひらで紙面を撫でながら不思議そうに首を傾げる。
「しないの?」
「うーん、しないってことはないんだろうけどわかりにくいっていうかさ」
 花村もすこし首を傾げながら、新聞の印字がこすれて黒く汚れてしまった菜々子の手を取る。噂のお兄ちゃんがおやつの巨峰と一緒に用意していったおしぼりで菜々子のてのひらを拭いてやると、菜々子は肩を縮めてくすぐったそうに笑い声を上げ、ありがとー花ちゃん、と言った。かっわいいなあ。転校生がシスコン気味なのもわかる。
 しかし、このかんわいい妹を持つお兄ちゃんは、まったくどっこもかわいくない。巨峰は花村の好物のひとつなので、さっき転校生が冷蔵庫から大粒つやつやのピオーネを出して振る舞ってくれたとき、俺ぶどうの中でこれがいちばん好き! と花村は当たり前に喜んだ。ら、ずいぶん狭い範囲の中のいちばんだなと相変わらずの無表情で言われました、ははははハ。ついでに「俺はぶどうなら甲斐路だな」と転校生の好みも聞かされたけれど、え、漫画の? とか思ってしまったので、食料品も手広く扱うジュネスの食品フロア担当アルバイトとして失格かもしれない。かいじってどんなぶどう?
 花村に新たな知識(日常生活に必要かどうかは微妙)をもたらしてくれた転校生は、いま隣家に回覧板を回しに行っている。菜々子が行こうとしていたのを、雨が降りそうだからと止めて自分が代わりに出て行った。隣家に回覧板を届けるなんて、チャイムを鳴らして直接手渡すにしろポストに入れて簡単に済ませるにしろ、かかっても二、三分だ。運悪く雨につかまってしまったとしても心配するほどの時間でも距離でもないだろうに、過保護すぎるのは逆に悪影響を与えるってテレビでよく言ってるぞと花村は思ったが、もし自分が転校生の立場だったら間違いなく同じ選択をしただろう。おそるべしシスコンマジック。ていうかあの子を守らずに誰を守るんだと思わせる菜々子の愛らしさ、おそるべし。おかげで学校帰りに遊びにきた花村は若干放置され気味なのだが、まあ菜々子の次点扱いならば仕方あるまい。
 巨峰の最後のひと粒を、あげる、と皿ごと花村の前に差し出しながら、菜々子は嬉しそうに言った。
「お兄ちゃん、わらうよ」
「えっマジで」
 やはり血縁者の前では違うのだろうか、だとしたら自分、いやいや、自分たち特別捜査隊員は、まだあまり彼に心を許されていないということになりはしないか。そう思った途端ガツンと予想外のへこみがきて、花村は自分でも驚いた。
 出会って二ヵ月、一緒に特異な事態に立ち向かっている仲とは言え、共有した時間はまだまだ短い。完全に心をひらかれていないとしても、そう落ち込むことじゃない。冷静に考えればたった二ヵ月で何もかもオープンなんてほうが稀だろうに、やたらとショックなのは、自分はすでにそれだけの信頼を向こうに置いてしまっているからだ。フェアじゃない。裏切られたようで悲しい?
(うあ、勝手すぎる。てか俺キモくない?)
 花村は思わず両手で口元を覆って顔をしかめる。あいつが里中や天城の前では当たり前に笑顔を見せていたらどうしようだなんて絶望的に気持ち悪い嫉妬みたいなものまで浮かんで、変な汗が出た。気に入りの曲と割れんばかりの大音量で耳を塞ぎ思考をちりぢりに砕いてしまいたい衝動に駆られ、首に掛けたヘッドホンに手が伸びたが、菜々子と目が合ってハッと我に返る。菜々子は花村の一瞬の異変には気づかなかったようで、座布団の上に膝立ちをしてテーブルに身を乗り出すと、斜め隣に座る花村に顔を近づけた。
「このあいだね、お兄ちゃん、手品してくれたんだよ」
「てじな」
 あまりにも意外なアイテムが飛び出したので、花村はつい間抜けにオウム返ししてしまった。自分の言葉がひらがなで聞こえた。
「あのね、この指にかけてた輪ゴムがね、ピュッてこっちにきちゃうの! いっしゅんなの! でもね、菜々子がすごーいって言ったらね、ちょっとタネが見えちゃったねってお兄ちゃんが言ってね」
 菜々子はほんのり頬を上気させ、力いっぱいパーの形にしたてのひらを花村に見せながら一生懸命説明をしてくれる。
「タネってしかけのことなんだよね。でも菜々子、しかけなんてわかんなかったから、言わなかったらないしょにできたのにって言ったの。そしたらお兄ちゃん照れてね、しまったなーって頭かいて、わらったよ」
 ちょっとお父さんに似てた、と言って菜々子ははにかむように笑った。この子は本当に父親と、そして突然降ってわいた「お兄ちゃん」が大好きなのだなと思って花村の心もあたたかく、いやその前に、ものすごく大声で笑いたくなった。菜々子を驚かせまいと懸命に口にチャックをしたがこらえようなく顔がにやける、なんでこんなに嬉しいんだろう。あの人を食ったようなポーカーフェイスが、照れて笑うだなんて!
「俺も見たかった!」
「手品?」
「じゃなくて! いや、そう、手品! お兄ちゃんの手品見たかったなあ!」
 花村の変なテンションに、菜々子は笑顔を引っ込め、ついでにテーブルに乗り出していた身体もそっと引いてまた座布団に正座した。わあ、不審がられてどうする俺!
 そのとき玄関の引き戸があく音がして、菜々子ー空すごく暗くなってきたー、と転校生の声がした。せんたくもの! と菜々子が素早く立ち上がり、背後の窓から庭へ出て行く。すぐに居間に入ってきた転校生も、花村には目もくれず菜々子を追って庭に出ようとした。が、髪型のせいか妙に丸っこいその後頭部をジーと花村が見つめていると、視線を感じたのか、縁側から片足だけ庭に下ろした中途半端な体勢のまま振り返った。
「何?」
 出会った日からまったく同じ、何を考えているのかさっぱりわからない顔で訊かれる。
「お兄ちゃん」
 努めて慇懃に花村が呼ぶと、転校生のするりとしたまぶたが微かに震えて持ち上がった。厚い前髪の下でいつも変わらぬ弧を描いているのだろう眉も、きっとすこしは跳ねたのに違いない。たったそれだけで、花村は本気でガッツポーズさえしたくなった。
「俺にも手品やって見せてよ。タネ見えちゃっても気づかないフリしてやっからさ」
 花村がわざとらしくウインクして見せた、その途端、転校生は限界ギリギリというほど目を見張り、半びらきの口から上擦ったような音を立てて息を吸い、目の下の皮膚をうっすら赤く火照らせた。
「絶っっっ、対、に、やらん!!」
 確実に百パー超えの拒否を叫んで庭へ下り、一歩目で、転校生はこけた。さすがの運動神経で顔面から地面にキスとはいかなかったが、地についた両手のてのひらがズザーと土を滑る音が派手に聞こえた。数着の堂島のシャツをハンガーごと抱えた菜々子が、お兄ちゃん! と慌てて走り寄る。
 大丈夫と言うように妹に片手を上げて見せる転校生の背を見ながら、何もかもが衝撃的すぎて、ひとり居間であぐらをかいたまま花村は固まった。心は固まっていたが動揺しすぎて身体は実に自然に動き、皿に残っていた巨峰の最後のひと粒を勝手に口に放り込んでいた。さっき菜々子が譲ってくれたけれど、いやいや菜々子ちゃんがお食べ、と年上らしく男らしく菜々子の自慢のお兄ちゃんの友達らしく、譲り返してあげるつもりだったのに。
 いま羞恥を見せましたよね、あの都会発のクールボーイが。しかもコケましたよね、仕込みかっつうぐらい美しく!
 花村の爆笑スイッチが入るよりしかしコンマ数秒早く、転校生が振り向いた。それはもう爆笑スイッチなんて瞬時に配線がイカレて動作不能に陥るぐらい、花村は視覚から食い込んで全身を貫き通す殺人的な電圧を感じた。なにその世にもおそろしい顔は、月森くん!?
「手伝え花村!!」
「はいい!! ごめんなさい!!」
 尻をひっぱたかれたみたいに花村は直立した。途端に巨峰が喉をすっぽり塞いで息ができなくなり、ああ俺死んだ、と半ば本気で観念する。菜々子ちゃん、お兄ちゃんは能面の中でも最恐の般若面でした。
 ダイイングメッセージは はんにゃ に決定!

 


 

  

 

 

 2008.10.4
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