TWO
RABBITS ARE CHASED
朝、昇降口で、二日ぶりに二人をみかけた。朝夕問わず毎日のようにコートで顔を合わせていた夏までを思えば四十八時間の空白は大きく、うっかり懐かしいだなんて気分になりかけて、そんな大げさで感傷的な自分に赤也は顔をしかめる。ネットを隔てて対峙したときの視線の無色あるいは静謐、リターンの精密あるいは凶暴、歪に上がる口角あるいは眼鏡にかかる前髪を払う長い指、忘れるべくもない。忘れないから思い出すこともない、従って懐かしむなんて現象は起こりようがないのだ。
今日誕生日なんじゃって? とやけに機嫌のよさそうな仁王を、違います、と邪険というにはあまりにも無感情にあしらって、柳生が足早に階段をのぼっていく。うつくしく背筋の伸びた後ろ姿を、不自然な白いしっぽを揺らしながら猫背が追って、すぐに二人とも赤也の視界から消えた。
いまの柳生比呂士はちゃんと柳生比呂士で、仁王雅治は仁王雅治だったようだと赤也は思う。入れ替わる必要がないときでもあの人たちは無駄におのれを偽っていることがある(ような気がする)(立証できたことはないけれどそう確信している)ので、彼らの見てくれと中身が合致しているのかをまず確かめずにはいられない癖がついてしまった。呪いみたいだと赤也は思っている。詐欺師に、いや、詐欺師と紳士に俺は呪いをかけられている。
昼休みが終わる頃、仁王がいないといいなあと思いながら赤也は柳のクラスを訪ねた。柳には恒常的に何かと世話になっているので(宿題指南とか過去問貸与とか主に部活とは関係ない点で)彼の在籍する三年F組にはよくくるのだが、そうすると五割強ぐらいの確率で仁王を見かける気がする。他クラスの仁王がなぜ頻繁にF組にいるのか気にならないといえば真っ赤な嘘だが、進んで質すほどの勇気や好奇心は幸い持ち合わせていなかった。
仁王と柳が仲良しだなんて笑えない。あの二人が結託なんてした日には世界がちょっと傾く。と、赤也は本気で思っている。
ドアの陰に隠れるようにしてF組の教室内を窺うと、運よく不吉な白い頭は見当たらなかった。赤也はほっと胸を撫で下ろし、厳かに席に着いている柳に向かって威勢よく先輩先輩と騒ぎ立てる。下級生に名前を連呼されてクラス中の注目を浴びながら、柳は眉ひとつ動かさずに赤也のところにやってくると、「あのー柳生先輩の誕生日ってい、」「今日だ」、ひとことで話をまとめて席に戻っていった。迷惑なら迷惑という顔をすればいいのに、と思えるほど赤也は洞察力が鋭くないし空気を読めもしないので、礼もそこそこに回れ右、うきうきと柳生のクラスにダッシュした。
柳生の在籍するA組のドア付近は前も後ろも立ち話をする上級生たちでふさがれていたので、赤也は手近にいた男子生徒に柳生を呼んでほしいと頼んだ。その茶髪の男子は品定めをするように赤也の全身に視線を走らせると、教室のドアに斜めに寄りかかったまま「柳生ー二年きてるー」と面倒そうに教室の中に声を投げた。
気に食わねえなと赤也は反射的にガンを飛、ばし損ねた。茶髪を睨み上げるより先に、ドア前をふさぐ上級生たちの隙間から見えた教室内の人物に、目も意識も釘付けになった。
仁王の姿はどこにいたって目立つ。柳生といっしょにいればそれはもう絶望的に目立つ、赤也にとっては。
柳生のクラスの柳生の席、というか机には我が物顔で仁王が座っていて、「誕生日なんじゃろ?」と今朝と同じ問いを進歩なく愉快げにくり返している。表情薄く愛想のかけらもなく仁王の相手を努める柳生には、「違うと言ってるでしょう机から下りたまえ」、茶髪の声は届いていないようだ。
くるんじゃなかった、と苦々しく赤也が後ずさりかけたとき、仁王が柳生のもとを離れた。柳生の注意を素直に聞いたとも、じきに始まる午後の授業に備えて自分のクラスに戻ったとも思えないが、前触れなくふらりと教室を出て廊下を遠ざかっていった。
教室の中では柳生が、こちらもたったいままで目の前にいた無礼な人物のことなどすでに忘れ去ったかのように、涼しい顔で机上に教科書類を揃えている。互いの存在をまるでないもののように扱いながら、一方では平然とコートもプレイスタイルも共有できる彼らの神経が赤也には知れない。
「切原君?」
ドアの外で固まっていた赤也に、柳生が気づいた。席を立って目の前までやってきてくれた柳生に(相変わらず出入り口をふさいでいた茶髪は柳生の「失礼」のひとことに小さく舌打ちをした)、赤也は即座に訊いた。
「今日誕生日なんすか」
「そうですよ」
赤也がそう知っていることに取り立てて驚く様子もなく、柳生はやわらかく肯定した。仁王には平然と嘘をつくくせに赤也には簡単に真実を明かしてくれるのが、うれしいことなのかどうか急にわからなくなった。悲しいような悔しいような気がして、頭の隅が軽く痛んだ。
五限目の予鈴が鳴った。そんなものなんの効果もないとばかりに赤也が動かずにいると、柳生はすこし困ったように端正な微笑を浮かべた。
「今日の練習には顔を出そうと思っていますよ」
「仁王先輩もっすか」
反射的に赤也は訊いた。あまりにも低く色のない声が出たのに自分でも驚いた、きっと形相もひどかったのだろう、柳生は驚いたように苦笑して、くるようなことを言っていましたが、と答えた。
「でもあんたが仁王先輩と組む必要も打つ意味ももうないよね」
「ええ」
「俺と打ってください」
「いいですよ」
柳生は変に隙のある笑顔で頷いた。あやされているようで気に食わないと思ったが、柳生が笑ってくれるだけでうれしくなるのでやっぱり騙されている気分になる。そうするとこれは仁王ではないかと疑いたくなる。
「仁王君がお嫌いですか?」
「好きじゃないっす」
いいえ好きです、と赤也は心中で歯噛みする。俺は気持ち悪いぐらい仁王先輩が好きなんです、それからあんたも。だからあんたたちがいっしょにいるところなんて見たくないんだ。
「仕方のない人だ」
柳生は穏やかに笑った。それは誰のことを言ってるの。
(あ、)
自分の教室に戻ってから、ようやく赤也は気づいた。
(おめでとうございますって言ってねえ)
今年はもう、言えない気がする。
2008.10.26
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だいぶ遅れたけどヒロシ誕生日おめでとう!
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