sik,
 sik,
  razy

 

 

 

 好きですあんたが好きなんですと狂ったように言い続けたら、おまえくるってる、とものすごくうざいものを見る目で言われた。狂ってるのは知っている。だけど先輩、男に恋してる俺を狂ってるって思うの、それとも、あんたを好きなことがおかしいって?
(わかんねーよ頭悪いからさぁ!)
 生徒用昇降口の片隅で、整然と並ぶ靴箱のひとつに寄りかかってしゃがみ込み、赤也は小刻みに身体を揺すって落ち着かない。苛立ちにまかせて俯いていた顔をガバと上げたら勢い余って後頭部を思いきり靴箱にぶつけ、運悪くボックスの蓋の鉄製の把手部分にクリーンヒットだったものだから、そりゃもう頭蓋骨へこんだんじゃねーのってぐらいに痛い。肉体的な痛みに簡単に泣かされるような歳ではないけれどジワと浮かんでしまう生理的な涙はどうしようもなく、後頭部を両手で押さえてしばし歯を食いしばったのち、赤也は逆恨みのありったけを込めて振り返った。
 強烈な一撃をくれやがったそのボックスの使用者を絶対嫌いになってやると思ったのに、ネームプレートに入っている名前は運命的嫌がらせみたいにまんまと『丸井』で、なんて忌ま忌ましい、嫌いになれるんだったらいまこんなところで待ちぼうけなんて立場に甘んじてはいない。
 授業が終わり清掃時間もとうに過ぎた放課後の本校舎内に人影はまばらで、赤也のいる位置からは誰の姿も見えず、靴箱の列の向こう側、飲料水の自動販売機やベンチコーナーを備えたホールのほうから時折伝わってくる話し声や笑い声がなんだか孤独感を誘う。昇降口の大きなガラス扉の外に見える空は灰色に曇り、ぱらつき始めた雨のせいか四月も後半だというのに妙に冷えて、それが余計に赤也を人恋しくさせた。
 ひとりでいるのや、静かな場所でじっとしているのは苦手だ。自覚があるだけに、あんたってほんと甘ったれなんだからと年の離れた姉にことあるごとにからかわれるのがひどく癪にさわる。年下にフラれたくせにバカ姉貴、と面と向かっては言えない悪口を呟きながら、赤也は膝を抱えて背中を丸めた。
 せっかくの部活のオフ日なのに、何日も前から遊ぶ約束だってしていたのに、肝心のブン太が居残りなんかになるから、おまけに教室の外で待たれるのをひどく嫌がるから、こんなところでひとりぼっちでイライラしたり心細くなったりしていなくてはならない。だいたいなんだ、新学期早々一週間連続で宿題忘れと備品破損と中抜けのトリプルコンボって、赤也だってそこまでの記録を打ち立てたことはない。
 携帯で時刻を確かめると、帰りの学活を終えてブン太の教室に行って居残りの事実を知らされ、下で待ってろと命令されてガラガラピシャンと鼻先でドアを閉められてから、もう四十分が経過していた。くそ、まだ終わんねーのかよ。
 床に直接ではなく靴の履き替え用に敷かれたすのこの上に座ってはいるものの、尻から本格的に冷えてきて、赤也はひとつ身震いをして立ち上がる。さっきまでは降っているのかいないのか判然としなかった雨が、いまでは明らかに人の目で測れる量と大きさの滴になって、扉の外のスロープや地面に次々と色濃い染みをつくっている。
 ホールに移動しようかと、赤也はちょっと悩んだ。顔見知りがいるとは思わないし、たぶん帰宅部ヒマ人の三年女子グループあたりがいるだけでその状況はあまり望ましくないけれど、すくなくともここよりは寒くなさそうだし、静かでもなさそうだ。
 しかしホールにいるとブン太を見逃す可能性が大いにある、靴箱や柱が死角を生むので、階段付近に非常に目が届きにくくなるのだ。ブン太が待っていろと言ったから、赤也は彼なしでは帰れないし帰る気もないけれど、当のブン太は、靴箱に赤也の姿がなくても気にもとめずに帰ってしまうだろう。
 急に不安になってふたたびしゃがみ、赤也は『丸井』と名前の入ったボックスの蓋をあけてみる。ずっとここに張りついていたのだからすれ違うはずなどないのだが、ブン太のテニスシューズがまだちゃんとあるのを確かめてホッとする。と同時に、なんだかすごくむかついてきた。
「居残りとかなってんじゃねーよ、アホまるい!」
 八つ当たりをして思いきり乱暴にボックスの蓋を閉めた、ら、すぐ真横で、ミシリとふいにすのこが軋んだ。蓋を叩きつけた音だってそれなりの騒音だったはずなのに、古びたすのこの軋みのほうがよほど大きく耳に入って、本能的野性の勘的条件反射的危機感がどっと赤也の全身に充満する。
 経験の賜物で咄嗟に腕で頭を庇った直後、目の前のボックスと同じ名前の上履きの足が空を切って、容赦なく赤也を蹴り飛ばした。もろに食らって赤也はすのこに尻もちをつき、肩をしたたか靴箱に打ちつけた。
「誰がアホだ、くそワカメぇ。人様のくつ箱だろい、大事に扱え!」
 不機嫌の固まりみたいな顔と声で開口一番宣うのがそれだ、こんな人を好きだなんて自分でもときどき本気で呆れる、頭おかしーんじゃねぇのと心配になる。
「俺っ、俺を乱暴に扱うのはいいのかよ!」
「敬語使えよガキ!」
 極悪な物言いとともにブン太がふたたび片足を大きく引く。赤也が靴箱に背中を張りつけて青くなると、おもしろくもなさそうに目を眇めてガンとすのこを蹴りつけた。
 どうやら居残りのせいでおそろしく気が立っているようだ。とにかくひたすら自分に甘いブン太のこと、オフ日に居残りなんて俺超かわいそうとか思っているのだろうが、あんたがかわいそうなら俺なんか哀れすぎて神様だって泣くよと赤也は心底げんなりした。その神様公認の哀れさに追い打ちをかけるごとく、ブン太が理不尽な発言を続ける。
「雨降ってんじゃねーか、どーすんだよ」
「知らねぇスよ。先輩が待たすから」
「カサ持ってんだろうな」
「持ってるわけないでしょ」
 思わず上目使いに言い返すと、百倍凶悪な目つきで睨み下ろされた。つ・か・え・ねぇー、としぼり出すように言葉を区切って低く呟き始めたのを、癇癪を起こす前兆だと即座に看破して、赤也は慌ててフォローする。
「でも通り雨らしいっスから! ちょっと明るくなってきたし、もうすぐやむんじゃねースか」
 たぶん、と心の中でつけ足す。さっき切れ切れにホールから聞こえてきた女子の声が確かそんなことを言っていた、どうか本当であってくれと祈る。ただの勘とかじゃなくて、朝見た天気予報の話をしていたのであってくれ。
 ブン太は小さく舌打ちをして鞄を床に下ろすと、座り込む赤也の両足のあいだに割って入り、赤也に背中を向ける格好で膝を抱えてそこに収まった。大げさに溜め息をついたかと思うとすぐに足を前に投げ出し、赤也を完全に背凭れ扱いして無遠慮にだらしなく寄りかかってくる。
「……重いっス」
 すぐ顎の下に見えるつむじに向かってついぼそりと呟くと、途端に後頭部で頭突きをかまされた。見事に鼻柱に食らって、赤也はまた涙目になる。
「いてぇよ! 鼻血出たらどうすんだよ!」
「いーんじゃねぇの、おまえ血の気多いし。ちょっとは抜けんじゃん?」
「あんたが抜けよ! すぐ手ェ出すのやめてくださいよマジで!」
「手ェ……」
 急に呆けたように言って、ブン太はじっと自分の右のてのひらを眺める。それきり動かなくなってしまったので、赤也はブン太の左肩に顎をのせ、両腕を腰に回してぎゅうと抱きしめた。また頭突きがくるのではないかと内心気が気ではなかったが、ブン太がおとなしく腕の中に収まってくれたので、あーあったかい、とようやく人心地つく。
 すぐに、人きたらやべーなと真っ当な思考を働かせたけれど、何を思ったのかブン太が首を傾けて耳に口づけてきて、あっという間に赤也の脳みそは煮える。ちゅ、と音を立てて一度きりでブン太の顔はまた前に向き直ってしまって、未練を見せないその引き際がとてもずるい。
「ねー先輩、今日何して遊ぶ?」
 肩越しにできる限り顔を寄せて頬をくっつけながら訊くと、なんでもいーよ、と簡単に返ってくる。
「先輩んち行ってもいい?」
「いーけど。今日親帰り早いからできねーぞ。でもくんだったら、ケーキ食わしてやってもいいぜ」
 赤也からすこし身体を離して上半身をひねって振り返り、さっきまでの凶悪な不機嫌などすでに影も形もない生き生きと輝いた目でブン太が言った。この人の中での自分の地位は確実にケーキより下だと悟って心底情けなくなり、あーどーも、と赤也は遠い目で薄笑いをする。するとブン太は一瞬何か考えるように視線を泳がせて、それからふいに真剣な表情になった。
「おまえ、今日なんの日だか知ってる?」
「先輩の誕生日」
 ものすごく当たり前に最優先事項としてインプット済みのことだったので、赤也が普通にするりと答えると、ブン太はただでさえ大きな目を限界ギリギリというぐらいに見ひらいた。何をそんなに驚くのかと、赤也のほうもつられてびびる。
「えっなんスか。誕生日でしょ?」
「おまえすげーじゃん。探偵とかなれんじゃねーの」
 はあ? と赤也は間抜けな声を漏らして頬を引きつらせる。ブン太がちょっと本気で尊敬しているような眼差しを向けてきて、そんなの当然はじめてのことだからくすぐったいやら居心地が悪いやら、しかし一方で赤也は絶望的に力が抜けた。探偵ってなんだよ、探偵って。
「あのさぁ、ケーキイコール誕生日とかアホな推理してねぇスよ。先輩の誕生日なんてもともと知ってますから」
「なんで知ってんだよ」
 首が疲れたのかまた赤也に寄りかかり、今度は斜めに瞳だけで見上げながらきょとんとブン太が訊いてくる。見てくれに応じて中身も相当にかわいらしい様子のブン太の頭に、赤也は一瞬本気でスマッシュでもかましたくなった。そうすればどこかスイッチが入って、この無敵の愚鈍さが修復されるだろうか。
「知ってるに決まってんじゃねぇスか!」
「だからなんでだよ。キモイな」
 ひどくあっさりとブン太は眉をひそめた。ああくそ、なんてこと言うんだこの人は。丸井ブン太と書いてクソどんかんと読む、世界中の辞典という辞典にそう書き込んでやりたい。
 ブン太は腹に回された赤也の腕をぺたぺたと叩きながら、早くやまねーかなケーキケーキ、とか言ってガラス扉の向こうの空模様を窺っている。居残りによってダイヤモンド級に磨き上げられたブン太の不機嫌は、赤也を蹴ったぐらいではヒビひとつ入らないのに、家で出迎えてくれるバースデーケーキを想像しただけでいとも容易く砕け散るのだ。
 ケーキが嫌いになりそうだと思いながら、赤也はブン太の顎をつかんで仰のかせ、素早く深くキスをする。唇をひらかせるまでもなく差し入れた舌は簡単に受け入れられて甘く絡まるけれど、このキスが終わったが最後、てめーこんなとこですんじゃねーよとてのひらを返したようにまた暴行を受ける可能性がゼロではなくてとてもこわい。
 それでも大好き、俺の愛の告白を全部忘れてなかったことにしてるみたいなこの人の誕生日を俺はもう絶対忘れられないんだから、やっぱりすごくくるってて、しあわせだ。

 

 

 2005.4.20
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