ゆらゆら
揺れている。なんだか落ちていくみたい。
かすかな不安を覚えて目をあけると電車のシートの上にいて、ベッドの中でなかったのがひどく残念で面倒で、慈郎は短く溜め息をつく。斜めになった頭が、固さと丸みを同時に備えた妙な感触に支えられているのに気づき、すこし仰のいて確かめると、見慣れたきれいな顔がすぐそこにあった。跡部、と呼ぶと、長いまつげが揺らぎ青味のかった瞳が静かに動いて、慈郎を向く。
「起きたんならどけ。重い」
「いまどこ?」
「もう次で降りる」
跡部の肩から頭を起こし、慈郎は車両内を見回す。向かい側に宍戸と岳人と滝が掛けていて、その脇に扉に肩を預けて忍足が立ち、すこし離れたシート付近に固まっている二年生数人の中に樺地と鳳と日吉の姿があった。左右の別車両にも、ちらほらと氷帝のテニス部ジャージや制服姿が見える。
「学校戻るんだっけ」
「ああ。軽く反省会して解散、明日はオフ」
大会会場を出る際にそれらの説明はなされたのだが慈郎はろくに聞いていなくてしかもいまきっちり熟睡してしまったので当然もう覚えているはずがない、という事態を熟知しているごとく跡部は簡潔に告げる。
「あとのことは全部、明後日からだ」
車輪がレールを噛む音に低くまぎれたその声を聞き取ったのか、眉間に薄くしわを寄せて目を閉じていた宍戸がピクと反応して一瞬睨むように慈郎たちを見たが、特に言葉はなかった。
宍戸の隣では滝が物憂げに目を伏せ、組んだ足の膝頭のあたりに視線を落としている。岳人は両手をハーフパンツのポケットに突っ込んで浅く腰掛け、両足を行儀悪く通路に投げ出してどこか拗ねたような面持ちでそっぽを向いている。温度のない忍足の横顔からは何も読めない。
樺地たちも会話をしている様子はほとんどなく、氷帝学園生以外の客の話し声や電車の走行音はもちろんするけれど、ああとても静かだと慈郎は思った。
たぶん、みんな、心が静かだ。驚きや混乱や悔しさが過ぎて静まったのではなくて、本当にいろいろやってくるのはこれから。心の動きは鈍く遅く、今日それを味わうのはあまりにも鋭く早すぎた。
「跡部」
もう一度跡部の肩に凭れかかって、慈郎は呼んだ。まっすぐに顔を見られないのが情けない。悔しい。慈郎の表情を窺おうとするのか、跡部が首を傾ける気配がした。
「負けてごめんね」
跡部にだけ聞こえるように極力声をひそめたら、それは信じられないほど弱々しくしおれて、慈郎はすこし笑いたくなった。ありえねーキモイと思って笑いたくなった、のに、
「泣いてもいいぜ?」
侮蔑でなく悪戯を含んで試すような跡部の声がそんなふうに返って、慈郎は驚く。慌てて顔を上げると、跡部は唇の端をゆるく吊り上げ、いつもと何も変わらない自信にあふれた表情で慈郎を見ていた。
今日、あの場所で、勝利のコートの上で、大好きなその顔を俺は見たかったんだ。
「泣かないよ」
自分がどんな顔をしているのかわからないまま、慈郎は答える。車内アナウンスが駅名を告げ、車窓からの風景が晴れた青からプラットホームの喧噪にスイッチする。
「悲しくねーし」
青学の天才、あんなモンスターみたいなものに敵うはずもない、だけど、それでも、負けてはいけなかった。俺は負けちゃいけなかった。
フンと満足したように跡部が笑い、シートを離れた。宍戸たちも次々と立ち上がる。最後に、慈郎もゆっくりと腰を上げ、揺れる車両の床を強く踏みしめた。
電車が止まり、扉がひらく。跡部の背中が前へ進む。続く先なら、きっとまだある。
2005.4.15
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