Sunday
Fairy

 

 

 玄関を出て二歩目、ドアの真っ正面に放置されていた妹の三輪車に蹴っつまずいてこけました。制服のズボンをぐるぐるまくりあげていたので(足まくりしちゃいけませんなんて生徒手帳に一行も書いてないのにせんせーに注意されるのおかしくなあい?)むき出しの膝こぞうをまんまと擦りむきました、超いたい。学校にいきたくなくなる理由としては百点満点の花丸です。
「つーか、今日って、休みだし!」
 カレンダーの数字がどう見ても赤だったんですが、きのう土曜であした月曜なんですが、本日まちがいなく、日・曜・日、なんですが!?
 地面に両手をついたまま、えーごでいうとサンデエ! と慈郎はわめく。ズボンのポケットからわざわざ携帯を出して確かめてまでみた。正真正銘にちようび。国を挙げてのお休み曜日。
 今日いまこの瞬間、午前八時三十分、鬱陶しいほど晴れた空のした学校へ向かわなきゃいけないなんて狂ってないですか? 休みなのに学校って狂ってる。そうだ、そう命令をしやがった跡部景吾は狂っている。
「くるっている!」
 芥川クリーニング裏手斜向かいの佐々木さんちのシロが、門の鉄柵の隙間から鼻先を突き出してわんわんわんと吠え出した。典型的な柴犬なので「シロ」と命名するほど白い印象はないどちらかといえば茶色い愛犬を呼ぶとき、佐々木のおじさんの大きな濁声は九割方「ジロ!」と聞こえる。
 だから慈郎はシロに親近感を持っているが、シロは慈郎を不審者と認識しているようだ。眠くて倒れる寸前でウーとかアーとかうなりながらゾンビみたいにずるずる足を引きずって歩いていたり、実際眠気に負けて道端に落っこっちていたりするのをほぼ毎日目撃されているからだろう、たぶん。
 門から覗いた鼻面がこっちを向いてわんわんわんとやっているのをかわいいなあと思いながら、慈郎はやっと立ち上がる。汚れた膝こぞうは派手に痛かったわりには薄皮がギザギザになっているだけで血の一滴すら滲んでいなくて、とてもがっかりした。怪我を理由に家に引き返すこともできない。
 週明けに急な対外試合が入ったので緊急ミーティングと練習をすると、昨夜の電話で跡部は言った。いきません、と条件反射並みに即拒否ったら、出なければ試合にも出さないと脅された。挙句、反撃できないでいる慈郎を鼻で笑って電話を切りやがった。
 わふ、と嬉しそうなひと声を最後にシロが鳴きやんだ。見ると佐々木家の前に跡部が現れていて、シロにちらりと美しい笑みなど見せながら後方に軽く手を振って合図し、いま自分の乗ってきた黒塗り高級車に帰るようにと命じているところだった。黒塗りはまさに音もないというほど滑らかにバックすると、淀みない動きで細い路地の角を入って方向を変え、またたく間に走り去った。
「せめて送ってって!」
 すでに見えなくなった黒い後ろ姿を追ってむなしく宙に手を伸ばす慈郎に、跡部が冷たい視線を寄越す。
「あーん? 車で登校なんざ何様だてめえ」
「いつでも乗っけてくれるって飛田のおっちゃんいってたもん」
「人んちの運転手をてめえの都合で使えると思うなよ、ジロー風情が」
「おれ風情!」
 ちょっとう奥さんいまの暴言聞きまして!? と裏声で叫ぶ慈郎を、跡部は鬱陶しさも露わに片頬を歪めて睨んだ。らしくない粗悪な表情を愉快に思ったのも束の間、ふいに目の前に突きつけられた跡部の携帯のメール画面に、慈郎はざあと血の気が下がった。
『おめえくるってる』
 と、起爆剤みたいな一行メールが、昨夜ふたりが電話を終えた直後に受信されている。フロム、芥川慈郎。
「しりません!」
 まったく、断じて、嘘偽りなく覚えがなかった。跡部に一方的に電話を切られたことに腹を立てながら即寝た、気がしていたが、寝入る前と寝起きの慈郎の記憶ほど信用できないものはない。
「それはあのえーとね、よー」
「妖精さんに言っとけ。二度目は殺す」
 ひっ、と慈郎は思わずあとずさった。思考回路を読まれすぎている、のは置いておいて、素で妖精さんと口にする跡部がこんなにおそろしいなんて。おそろしくて笑ってしまいそう!
「わらっていいですか」
「死にてえんだな」
「あっ、ゆっとくゆっとく!」
 激しく何度も頷く慈郎にうんざりしたようにため息をつき、跡部は路地を歩き出した。慈郎も慌ててあとを追う。
 シロが跡部の動きに合わせて門の中を移動しながら、ちぎれんばかりにしっぽを振っている。柵の隙間から手を差し入れてシロの頭を撫でてやっている跡部の背に、おれも、と慈郎は頭突きをしたが、跡部は不審げな一瞥をくれただけで相手にしてくれなかった。
 わざわざ慈郎を迎えにきたのは優しさではなく信用度の低さの証、そしてそうめずらしくもない日常、けれど今日は、「おージローんとこのアタマじゃん」と昼夜問わず極悪なほどに低血圧風な芥川長男に絡まれたり、「あとべだっこ!」と大きな目をキラキラさせて跳びついてくる長女に足止めされたり、まだ支度が済んでいないどころか起きてさえいない問題の次男を蹴り起こしたり、という一連の手間をすべて省けていることに跡部は気づいていない。
 目覚まし通りに起床し時間を守って部活に出ようと正気の沙汰とは思えない努力をあろうことか日曜日にしてのけたからなのに、芥川“スリーピング・ビューティ”慈郎が。こんな奇跡を見逃せるなんて跡部はやっぱり、
「いま何時」
「三十五分だ」
「歩いてもよゆーでまにあうね」
「そうだな」
「よーせーさんからも跡部に伝言です」
 全力で逃げる体勢を整えて、慈郎は言った。
「オメエやっぱくるってる」
 そして跡部に背を向けて猛ダッシュ、シロが吠えるのと一緒に数段凶悪な足音がまっすぐに追ってきて二度と振り返れないと思った、振り返って相討ちで果ててもいいと思った。
 妖精さん、オメエも十分くるってるよ。

 

 2007.10.25
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