界でいちばんこわいsmile
                            
                         

                                   

 

 

 朝っぱらからおれの部屋のドアをありえない勢いで叩きやがる非常識ないきものがいるわけです。
 あとべ星人、あとべ星人、と唸るともつかず呟きながら、慈郎は鼻先まで布団にくるまったまま薄く片目をあける。北と東の窓にかかった薄手のカーテンは光も熱もよく通すので存在意義がいまいちわからないが、まだ外が明るい気配はない。お日様だって寝ているこんな薄暗いうちから起き出してしかも人のうちに押しかけてくるなんてどんだけ迷惑なのあとべ星人、と慈郎は眉をしかめたけれど、慈郎も過去、日付の変わる寸前に跡部を相手に同じ暴挙に出たことがあるのでお互いさまだ(慈郎自身はそんなこととっくに忘れているが)(たとえ覚えていても潔く棚上げにするが)(ついでに、他人のうちに早朝だろうが夜中だろうがフリーパスっておまえらの家族おかしいぞ、と宍戸に真顔で突っ込まれたことももちろん首尾よく記憶の彼方)。
 ドアを叩く音と、てめえジロー起きろこのアホというお決まりの乱暴なグッモーニンが聞こえるばかりでいっこうに跡部が部屋に入ってこないので、慈郎は不思議に思って布団から顔を出す。散らかり放題の床をよく見ると、ドアと本棚のあいだに転がったプラスチックのおもちゃのバットが突っかい棒になってドアがあかないようだ。ラッキー、とふたたびすっぽり布団の中へ戻ったら、
「殺されてえかジロー、あけやがれ!」
 跡部の怒声が炸裂した。跡部ってばあとべ星の王子様のくせしてなにその地球の日本のチンピラみたいなしゃべり方! きっと鬼のような顔をしているにちがいない、と慈郎は真っ暗な布団の中でうふふと笑い、宇宙人のこわい顔ちょっと見たいなあと思ったけれど、殺されたら困るのでドアは絶対にあけられない。ん? あけたらじゃなくて、あけないと殺されるの?
「あとべ星人ー、もっかいゆってー」
 寝返りついでにもう一度布団から顔を出して言うと、自らのドア連打のせいで騒音まみれになっているくせにどうやって聞き取っているんだか、即座に罵声が返ってきた。
「殺す!!」
 うわーさっきとちがうし。
 寝癖で乱れた頭をさらにぐしゃぐしゃ掻きながら、慈郎は渋々ベッドの上に起き上がる。寝起きのおまえの髪はますます偽物っぽいなと以前跡部に言われたのを思い出した。全校集会で生徒会長としてスピーチをする、教師の賛辞を諾々と聞き流す、嘘をつく、そういうときの跡部の顔だってまったくつくりものみたいだと慈郎は思ったけれど、口には出さないでおいた。おれっておとな。
 跡部は偽物みたいだと評した慈郎の髪の中に手を突っ込んで顔を寄せて、クリーニング屋のにおいがする、となんの感慨もないように言った。思ったことを簡単に口にして、当たり前のことをつまらなさそうに言う跡部はこどもだなあと、そのとき慈郎は思ったのだった。
 二度三度とあくびをくり返しながら、慈郎はひらききらない目で無法地帯と化した室内を見回す。カーテンの向こうがぼんやりと明るいものの、まだぜんぜん朝の光には足りないし、鳥のさえずりだって聞こえてこない。ここ二週間さぼり続けている朝練への強制連行にしたって早すぎる、いったいなにごとなのと寝起きの最大限回らない舌でドアに向かって抗議、する寸前に慈郎の頭は彼にしては目覚ましい素早さでちゃんと起きた。
 つーか今日って休みだよね? ゴールデンウイーク、こどもの日、おれの誕生日! なのに安眠妨害ってなんなのあとべ星人、意味わかんねえ。
 慈郎は凶悪な半眼で鳴り続けるドアを見た。これだけうるさければじきに隣の部屋の兄が起きてきて、いやでも跡部を追っ払ってくれるだろう。寝起きの芥川家長男は正真正銘鬼だし、次男に似ているようで似ていないその長男を跡部はだいぶ苦手にしているみたいだ。
 兄に丸投げすると決めて枕に突っ伏そうとしたとき、床に転がった目覚し時計が慈郎の視界の端に引っかかった。蛍光塗料つきの長針と短針がぼんやりとひかっている。七時ちょっと前ぐらい。休みの朝の、七時前。
「人間の起きる時間じゃない!」
 ぞっとして反射的に叫んだら、心底うんざりしたような跡部の声がドアを突き破る勢いで轟いた。
「朝のじゃねえ、夜の七時だ!!」
 跡部は肝心なところでは極限まで鈍いくせに、どうでもいいときに限り慈郎の思考も行動もおそろしいほど的確に読む。跡部ってほんとおれのこと好、
 夜 って なに?
 慈郎はマッハで枕元、ではなく枕の下、でもなく足のほうで布団に埋もれていた携帯を確かめた。十八時五十五分。
「ぎゃえあっ!? 超むだになってんだけどおれの誕生日!!」
 わめいたのと同時に、ミシ、とドアのほうで不吉な音がした。慌てて見ると、跡部がドアを叩き続けた振動で、突っかい棒になっていたバットの位置がだいぶずれている。かろうじて本棚の角で踏ん張っているバットをへし折りかねない圧力がドアの外からかかっているのがわかる、けれど細くあいた隙間から廊下の明かりがろくに入ってこないのはそこに跡部(おにと読みます)が立ちはだかっているからなのだろう。
 俺の台詞なんだよてめえ、と地鳴りみたいな跡部の声が足の踏み場のない床を這い、ベッドの上に正座して携帯を握る慈郎の手首にヒリヒリとからみつく。
「一日無駄にさせやがってどうしてくれるよ、あァ?」
 よく見れば携帯には多数のメールと電話の着信が。ほぼすべて跡部からにちがいない、なぜなら今日約束をしていた誕生日だからいっしょにいてお祝いしてちゅーしてと鬱陶しいほどに慈郎が頼んだのだった。
 とどめとばかりに跡部がドアを蹴り、ひときわ物騒な音とともに部屋中が震えた。なにしてんのオメエおかあさんにおこられるよ!(おれが!)
 おもちゃのバットが吹っ飛んで宙に弧を描き、ものすごい勢いでついにドアがあく。
「Alles Gute zum Geburtstag!」
「アレギュー、ツム、ゲブ?」
「ハッピーバースデイ、慈郎」
「あんがと!」
 でもそれおめでとう言う顔じゃないよね!

 

 

 2008.5.10 / 遅れたけどおめでとう慈郎!
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