inu
mo
kuwanai
ふかふかの布団にくるまって今日は日曜で部活もオフで心ゆくまで眠れるしなんだかたまらない匂いが鼻腔をくすぐるので薄目をあければ枕元には山盛りキラキラのパフェケーキジャンクフードエトセトラ、なあーんて夢みたいな状況が本当に単なる夢だった日にゃあ!
ぱっか、とひらいた目に飛び込んだのはキラキラの食べ物の山ではなくてくしゅくしゅのヒヨコ色の頭だけ、学校からほど近い市営体育館のロビーの片隅のベンチの上にいて、大きなガラス扉の外に見える風景はすでに夜に片足を突っ込んだ夕暮れ、布団もなければ日曜でもなくてブン太は究極的にがっかりした。
軟体動物みたいにぐでんと重たくのしかかってきている隣のヒヨコ頭は、当然まだ眠りこけている。のけようとブン太が身じろぐと、肩にのっていたヒヨコ頭はずると滑って腿の上に落っこちた。が、しぶとく起きない。うにゅ、と気持ちよさそうに動物的な甘えた唸り声を漏らした唇がだらしなく半びらきのまま動きを止、うっおヨダレ!
「起きろい芥川!」
ブン太は慌てて慈郎のジャージの裾を無理やり引っぱりあげて涎を垂らしかけている口を塞ぎ、ついでに容赦なく頬をつねった。その極悪な対処方はどうやら正解で、さすがの慈郎も一発で目をあけると、口を押さえるブン太の手をばしばし叩く。あくまで自分の制服のズボンがかわいいブン太が乱暴に涎を拭いざま手を離すと、慈郎は大きく息を吸い込んで喉の奥でおかしな音を立てながら、うっすらと涙目になってブン太を睨み上げた。
「いてぇよ! つーか息できない! なにすんの丸井くん、ひとごろし!? ひとごろし!」
物騒な単語の連呼に、ホールの奥の売店のおばちゃんと、給水機に群がっていたバスケットボールを抱えた数人の小学生がぎょっとブン太たちに注目する。ブン太は舌打ちをして、自分の膝を抱え込むようにガバと慈郎の上に覆い被さった。鼻の頭がぶつかる寸前まで顔を近づけてやると、計算通り、慈郎は途端にまるで漫画みたいにボッと頬を火照らせて声を詰まらせた。
黙らせるのはお手のもの、だっけどこのあとがめんどくせーんだよなあとすでに若干疲れながら、小学生バスケットマンたちが体育館内に戻っていく足音に耳をそばだて、売店のおばちゃんのほうを横目で窺いながらブン太が顔を上げようとすると、案の定、慈郎の腕が素早く首に巻きついてきた。意地でも接近状態を保とうとするこういうときの慈郎の力は本当に厄介極まりなく強力で、んぎぎぎぎ、としばし力くらべをするはめになったあと(いってていてぇいてぇ髪ひっぱんなバカ!)、ようやく振りほどいてブン太は身体を起こし、勢い余ってベンチのうしろの壁に強か背をぶつけた。こっの発情ヒヨコ!
「ひとごろしぃ……」
相変わらず瞳を薄く潤ませたまま、恨みがましく慈郎がまたくり返す。いますぐ床にぶち落としてやろうかとブン太は思った、けれど売店のおばちゃんの目があるのでひとまず抑える。
「殺してねぇだろい。ヨダレふいてやったんだよ」
「じゃあなんでつねったの」
「あ? え、あー、あれだよあれ。なんかケーキとかパフェとかハンバーガーとかすげーあったのに急に消えちゃってさあ、そんで気ィついたらここにいんだろ。夢じゃねーかなーと思って」
口笛でも吹いちゃおっかなーというわざとらしさでブン太はそっぽを向く。すると慈郎は空中に腕を突き出して拳を握り、駄々っ子のようにぐるぐると振り回した。
「自分のほっぺたでやってよ! せっかく丸井くんの夢見てたのにさいあく、丸井くんのアホ!」
「ここに本物がいるだろい」
目の前をうろちょろする拳を鬱陶しさもあらわに払いのけながらブン太が眉を吊り上げると、慈郎も負けじと頬を膨らませた。
「だってほんものの丸井くんは入れさしてくんないし」
「勝手に人に突っ込んでんじゃねぇよエロチビ」
内側からの力で無駄に固く張った慈郎の頬を、左右とも力いっぱいつかんでひっぱってやると、慈郎はまた大きな目に涙をためてブン太の腕を叩いて抵抗した。
「みゃるいくんだっへチビじゃん! エロいじゃん! 夢ぐらい見ひゃっへいいじゃん、いひゃいいひゃいみゃるいくんのアホ!」
おかしな発音で必死に言い募るのがおもしろくてますます指に力を込める自分の非道さを十分に自覚しつつ、手を離す気のないブン太である。あんた鬼ですかとときどき赤也に恨みがましく言われるが(もちろんその都度蹴りの一発も見舞ってやっている)、なるほど確かにとはじめて自覚した。が、反省するつもり0パーセントなのですぐに忘れた。なんというか、あれだ。不細工なツラできゃんきゃん吠える芥川は嫌いじゃない。
そんな根っからのいじめっ子根性で膝の上の不細工ヅラを観察していると、うええええと本気で半べそをかきながらベンチからはみ出た足をバタバタさせていた慈郎が、ついに最終兵器を炸裂させた。
「幸村くんにいいつけてやるうぅー」
ブン太は瞬時に手を離した。慈郎は頬を押さえて痛そうに顔をしかめたがそれも束の間、目尻の涙こそ乾かないものの実に満足げな笑みを浮かべた。
ブン太が幸村に余計な心配をかけたくなくて彼の前では行儀よく振る舞っていると知って以来、慈郎は思慮もプライドもなく幸村の名前を武器に使うようになった。一度きり、たった一度きり幸村の見舞いにくっついて行っただけでブン太の心中を看破した慈郎の観察力を褒めるのはしかしお門違い、ブン太がわかりやすすぎただけだ。あの日蹴ってでも慈郎を追い返さなかった自分を、ブン太は心底呪っている。
「言ったら二度とテニスできなくすんぞ」
「丸井くんやくざみたい!」
ブン太の膝を占領したまま、ひまわりみたいに明るい笑顔で慈郎は言った。無邪気な脅迫まがいがこれほど似合うやつもいないのじゃないかと、殴りたくて指先をわきわきさせながらブン太は思った。
今日だって部活終了ジャストのタイミングでひょっこり現れて、丸井くんあそぼーあそぼー試合してと騒ぎ立ててなぜかブン太が真田にたしなめられ「他校生と会うなら学校の外にしろといつも」、仁王に笑われ「よう懐かれちょるのう、見てみんしゃいあん顔、ちっこいわんころがオカンに」、柳生にやんわりと非難され「わざわざあなたを訪ねてきてくださったのですから多少なりとも付き合ってさしあげるのが礼儀というもの」、それでも断固拒否したら今度は、せっかくきたのにとおくてたいへんなのに俺おこずかいすくないし電車代だって、と当の芥川がめそめそ始めやがって仕方なく近場の市営体育館に連れてきてみればママさんバレーとガキバスケチームの使用日でまったくの無駄足。それでも帰ろうとしない慈郎に巻き込まれていつの間にか一緒になって居眠りなんかしてしまってこのざまだ。超・時間の・ムダ!
「もういいだろい、待ってたってコートあかねぇよ。帰ろーぜ」
気を取り直してブン太が言うと、慈郎は悲しげに眉を下げてあきらめきれないという顔をした。さっきまでの小憎たらしい笑顔はどこへやら、万華鏡みたいに表情が変わる。
「またくりゃいいだろ、ちゃんと遊んでやるって」
「ほんとに?」
「でもいきなりはなしだかんな。俺にだって都合あんだよ」
「うん、ごめんね」
素直に謝って、慈郎はのろのろと起き上がった。座ったまま、ベンチの足元に置いてあったラケットバックパックを背負うと、背中を丸めて長々とため息をつく。急に重みとぬくもりを失って不自然ささえ覚える脚を気にしながら、ブン太は慈郎の横顔をつい眺めた。そうやっておとなしくしてりゃ結構見られんだな。あと、寝てる顔、こいつの寝てるときの幸せそうなガキっぽい顔がたぶん俺は好きだ。
すると慈郎がふいにブン太のほうを向き、またニコニコと笑って言った。
「丸井くん、そーやってだまってるとすごくかっこいいのにね!」
寝言なら許してやろうと思ったけれど慈郎の目は生き生きと輝いているしブン太の心はやっぱり平均より狭いので、不毛な口喧嘩ふたたび。一分とせずブン太の手が出て慈郎の足が出て、ついでに売店のおばちゃんが呼んだ市の職員のごっついおっちゃんも出た。
ふたりは仕方なく手をつなぎ、こらきみたちどこの学校の、というおっちゃんの声を背にダッシュで逃げ出して、走って走って足を止めず、喧嘩の原因なんて遠く置き去り。
2005.7.17
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