メ ロ 

 

 

 

 音楽の授業はあんまり好きじゃないよと言ったらひどく驚かれた、珍しがられた。それこそ火星人とかみんなピカピカ一年生の入学式でひとり芋ジャーとか二足歩行のキリンとか、そういう不審物を見るのと同列の目を向けられた。
 西日の燃え差しもそろそろ尽きて夕闇の迫る頃、氷帝学園ナイターコートでいつも通り熱心に、と思いきや今日はそういう日ではないようでなあなあと遊び半分に鬼のラフプレイ込みで続けられる自主練の場に潜入した千石を、普段なら蹴ってでも追い出そうとするくせに、現在の跡部ときたらラケットすら放ったらかしでまじまじと凝視していて、そこまでいくとちょっと失礼なんじゃないでしょうか。
「嘘つきやがれ、おまえカラオケ狂いじゃねぇか」
「うわ、跡部くんてカラオケと音楽の授業いっしょにしちゃう人? おかしいよ」
「てめえにおかしいとか言われると人生終わったような気になるから不思議だよなぁ?」
 なんだか理不尽な言い草を吐いたかと思えば突如場違いに慈悲深げな微笑を浮かべ、跡部はコートサイドのベンチに並んで座る千石の顔にひょいと気安く手を伸ばす。えっもしかして嬉しい予感!? なんて千石は胸をときめかせたけれど、そんな淡い期待は千年後にもまた会おうなんてロマンチシズムで溺死寸前のうつくしい約束並みに抱くだけ無駄、握った中指を微妙に浮かせ第二関節を強調した凶悪な拳で両側から容赦なくこめかみをぐりぐりされて、いたたたたギブギブごめんなさい! と千石は悲鳴を上げた。
 逃れようと暴れたら、もともと遠慮がちに端っこに座っていた(てゆーか真ん中にいたんだけど跡部くんに蹴られてどかされたんです)のが災いして、簡単にベンチから落ちてしたたか尻を打った。跡部は心配も反省もなく涼しい顔だし、コート上では芥川と向日のチビっこコンビが無遠慮にこっちを指差してだっせーぎゃははと馬鹿笑いだし、隣のベンチで水分補給中の確か日吉とかいう下級生は完全無視を決め込んでいるしで、千石は痛く傷ついた。
「きみたちってさ、お坊ちゃん学校生のくせにぜんぜんマナーがなってないよね」
「あーん?」
 地面に体育座りをして千石が上目使いにぶつぶつこぼすと、跡部は歯を剥き出さんばかりに口元を歪めて睨み下ろしてくる。きれいな顔して柄が悪いなんて最悪だ。てゆーか俺様なくせに暴力的なくせに顔がきれい肌もきれい声は耳に残るし心臓にくるし髪の毛はいい匂い、何もかも俺好みなんて最悪!
「跡部くんは人に謝ることを覚えなきゃだめだと思う。じゃないと立派な大人になれないと思う」
「てめえが悪ィの棚上げにして抜かしてんじゃねぇよ」
「なんできらいな教科の話しただけで悪者扱いかな」
 千石が抱えた膝に額をつけて丸くなってふて腐れると、跡部が即座に腕を蹴ってくる。呼ぶんなら口で呼んでよとさすがにちょっとむかつきながら軽く睨み上げるものの、なぜそんな目で見られるのかわからないという顔を本気で跡部がするので、千石の怒りは萎える。
 生まれつきのキングゆえに跡部の無自覚のタチの悪さは天下一品、しかしそれ以上に厄介なのは、彼がこちらの気を引こうとしているのを心の底に隠すまでもなく露骨に喜んでしまう千石自身だ。なんで音楽嫌いなんだよと跡部が訊いてきて、彼の興味が俺にあるっていう春色の現状に果てしなくときめく俺こそが始末に負えないです。
「だってさ、別に歌いたくもない歌みんなで声合わせてルールに合わせてはみ出さないようにひたすらそろえて楽譜とにらめっこでさ、なんにも楽しくないじゃない」
「俺は合唱は好きだぜ。練習重ねりゃ成果が見えるし、ハモリが完璧に決まったときはゾクゾクくる」
「うんまあ、氷帝とうちじゃレベルちがうだろうからね。声楽のプロの先生とかいるんでしょ」
 そういう話じゃないんだけどねとすこし苦笑いをしながら、千石は仕方なく相槌を打つ。跡部は結局のところ真面目な優等生だから、千石が学業について不満を漏らしても、いつも微妙に方向を誤った解釈しかしてくれない。
「跡部くんは歌好きなの?」
「まあな」
「いっしょにカラオケいってくんないのに」
「おまえの歌ってんのは歌じゃねぇ」
「あっ、キューティーハニーをバカにしたね!」
「知らねぇよ」
 ベンチのふちに取りついて抗議すると、跡部は小馬鹿にしたように言い捨ててぷいと視線を逸らした。その隙に、なんでもないふりを装って、千石は跡部の膝頭に触れてみる。とても滑らかで、気のせいかすこし冷えていた。
「じゃあ俺が、跡部くんに愛の歌をつくってあげる」
 うっとりと言った途端、跡部はすごい勢いで耳を塞いだ。なんて態度だ。けれど、膝の上の千石の手を振り払うことも、鬱陶しげな一瞥を残して立ち去ってしまうという通例の行動に出る気配もなくて、千石はガッツポーズで、イエス! ラッキー! とか叫び出しそうに嬉しい。
「えーとね、それじゃ、えーと、ちょっと待って」
 後先を考えずに口走ったものだから完全なる即興を演じなければならず、格好悪くもたつくあいだに、跡部が耳を塞いだままちらりと千石に視線を戻した。目が合った。つかんだ跡部の膝が一瞬震えるように揺れて、千石は口をひらく。
「あいたくて きみをさがしてみつけては たちすくむぼく いとしさにまけ」
「――っ短歌かよ!」
 妙な空白ののち、跡部は歯切れがいいとはいえない突っ込みをそれでも鋭い声で入れると、ダッシュせんばかりの勢いでコートへ出て行ってしまった。はねのけられた手を残念に思いながら、短歌だって立派なラブソングだよと千石が甘えてみる暇もない。
 その後は跡部はコートに出っぱなし、珍しく親友の睡魔くんと喧嘩をしたらしい芥川が勝負勝負と騒ぐので千石もミニゲームに駆り出されたりして、ろくに会話できないまま時間切れになってしまった。
 そして、ひとりで電車に揺られる帰宅途中、メールが一通。

『会いたくて
 君来て静もる
 わが心
 泣くみどりごの
 安堵を見るごと』

 千石は、震える指で、命をつなぐようにメールを保存する。本当はその必要もない、刺の甘さと鋭さで心臓に食い入って、きっと生涯抜けやしない。
 指先が火のように燃えて揺らいで、頭がくらくらして、とてもすぐには返信なんてできそうにないから、千石は車内の人目もはばからず、携帯に名を呼び、口づけた。

 

 

 2005.4.19 / 短歌が短歌じゃないのは大目に見てください。
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