西浦短文ログ
※日記からの再録です。タイトルにオンマウスで登場人物表示。
カン違いみたいだ。|初夢未遂|無自覚いばら道|2.22記念ニャン話|君はさくら
カン違いみたいだ。
1年7組/07.9.1
無関係のような顔をしている。
野球部。クラスメート。1年7組。
まるで無関係のような顔をしている。
二時間目と三時間目のあいだの短く貴重な十分間を、阿部と花井が惜しげもなく部活の相談ごとに費やしているのを、水谷は自分の席からぼけっと眺めていた。休み時間の喧騒の中、四列離れた席にいる彼らの会話が聞こえるはずもないけれど、ふたりとも特に笑いもせず、かといって取り立てて難しい顔をするでもなく、つまり適度にまじめに額を突き合わせてああだこうだ会話をこねくり回したり何かメモったりしているようなので、ただの雑談でないことは明白だ。と、推理とも呼べない推理をしつつ隣の席のクラスメートと雑談をして、水谷の十分間は終了した。
次の休み時間も、教師が退室するなり阿部は花井の席へいき、何やらごにょごにょと話し込み始めた。プピピポプペペプ、と隣で忙しなく響く携帯のボタンプッシュ音を聞きながら、水谷はまたふたりを眺める。今日はバイトの都合で監督が遅れるらしいので(「どおおおおっしても、て交替頼まれちゃってね、なるべく急いでくるけど私いないからってさぼったら握」以下略)、そのあいだの練習メニューの確認だろうか、なんてぼんやり考えた。
「フミキぃ、こないだ結局メタルギアどしたん?」
「あー買った」
「やりィ。貸して貸して」
「クリアしたらねー」
「してねえのかよ!」
おっせえだっせえと隣が騒ぐのを、あーそー貸さなくていいのね? と生ぬるい笑顔で黙らせる。こういうくだらないふざけ合いが好きだし、ゲームと女の子と最近目覚めたらしいダブルダッチ(何があったのだろう彼に)の話が九割を占める隣のこいつも好きだ。
横目で視線を阿部と花井に戻すと、ふたりはちょっと難しい顔になっていた。花井が眼鏡をはずしてひと息つき、くるくるとシャーペンを回す。水谷は視線を逸らした。見て見て、と隣のやつが自慢げに眼前に突きつけてきた携帯の、某人気上昇中アイドルとの2ショット写メに、うううっそなにこれどーしたのマジで!? と思いきり食いついた。
同じ部活、同じクラス、いま同じ場所にいるけれど、オレとあいつらはまるで無関係みたいだ。
「水谷ー」
隣ではなく、すこし遠くで呼ぶ声がした。
「みーずたに!」
見ると、阿部が手招きをしている。花井は眉間にしわを寄せたままシャーペンを回している。
「はあーい」
水谷は席を立ち、ふたりのもとに向かった。
窓の外には青空。熱気。放課後になればこいつらと、みんなと、走って投げて打って叫ぶ。笑う。きつくて楽しくてしょうがない!
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初夢未遂
1年9組/08.1.1
一月一日って三橋の日じゃん!
二学期終業式、校長先生のお話真っ最中の体育館で突然田島が言った。声でけえ。周囲の生徒たちがちらほら視線を寄越したが、マイクを通した自分の熱弁にあらゆる雑音がかき消されているであろう演壇の校長にまではさすがに届かなかったようで、滞りなくお話は続く。
全校生徒が集合した館内は見渡す限り人人人。けれど整列に対する締めつけがゆるいので各クラスごとの列は雑然と乱れ、ところどころにぽっかり床が見えていたりもする。
今朝はこの冬いちばんの冷え込みになりましたねェーさむういですねェーと白い息とラメラメのまつげを弾ませたお天気お姉さんの言葉は半端なく正しくて、体育館は極寒。直に床に座っているので尻から冷える。短いスカートの下にジャージをはいた女子たちがあっちこっちで身を寄せ合って、寒い寒い校長話なげえと文句を言いながら震えている。私服校なのにズボンはき放題なのになぜにそうまでして制服を着るのか女子。スカートの短さがステータスなのか女子。
男子たちも一部固まり合って暖を取っている。隣のクラスのバカがふたり固くハグし合って、「あっためてダーリン!」「おいでハニー!」、きもいうざいと女子の顰蹙をかっている。うん、キモイ。
と、目を細めて眺める浜田も実は野郎同士で固まっている。というか田島泉三橋に固まられている。理由は単純、浜田のジャケットのフードのもさもさあったかそうじゃね? だそうだ。全身ゴージャス毛皮ならまだしもそんなフードのふちのファーだけであったかいわけが、撫でるな顔をうずめるなつかむな抜ける!
「なんで正月が三橋の日になんの」
「だってイチ月のイチ日だぜ。いちばんの日じゃん」
「い、いちばんっ」
アホな会話がくり広げられているなあと思いながら、浜田は三人の手からフードを取り上げて素早くかぶる。あっずりい! とすかさず田島に非難された。責められる意味がわかりませんが。
「二月二日は、阿部くんの、日だ!」
「んで三月三日はー」
「ひな祭りー」
浜田の周りに寄り集まったまま、田島泉三橋はボソボソきゃっきゃと楽しそうだ。平和だなあと浜田はあくびをする。三人がくっついてくるおかげで浜田はぬくぬくだけれど、果たしてこいつら自身の寒さは本当に解消されているのだろうか。
校長の話はまだ続いている。いよいよ佳境のようだが誰も聞いちゃあいない。田島泉三橋のアホ話も続いて、いや一段落ついたようだ。ナインの背番号記念日(なんておめでたい)(ほんとアホだな!)を確認し終えた三橋が、急に力強く浜田の腕をつかんだ。
「ハマちゃん、も!」
「は?」
「ハマちゃんの、日も」
「いやオレはいいって背番号ないし」
つーか誰々の日とか誕生日で十分じゃないですかね、というツッコミを秘めてやんわりと断ってみたが、案の定三橋も田島も聞いていない。そして泉の言葉に全面的に悪意が見える。
「んじゃ背番号の代わりに名前でやろーぜ。浜田って名前なんだっけ」
「ハマちゃんは、よしろうだよ!」
「は・ま・だ・よ・し・ろー、か。えーと、はが8だろ」
「446でいんじゃね? よしろー4月46日」
「んな日にちねーじゃん」
「いーよ別に浜田だし」
「だめだ、よ、泉く」
「三橋って浜田尊敬してるよなあ。いーことねーからやめとき? おまえまでダブっちゃうぜ」
人を呪いみたいに言うなと思いながら、なぜだかひどく眠たくなって浜田は逆らわずにまぶたを下ろす。と、背中合わせに寄りかかってきていた泉の体重が急に肩に移動して、
「お餅いくつ食べる?」
「は?」
「お雑煮するよ、お餅いくつ入れる?」
「は!?」
泉くん言ってることがおかしいっつーかこわい! と鳥肌を立てて慌てて目をあけると泉ではなく、田島でも三橋でもなく、母親の顔が目の前にあった。体育館ではなくて自分の部屋のベッドだった。
「良郎、お餅!」
「え、ふたつ、あ、みっつ?」
「はいはい、あけましておめでとう。ほら起きてよ、朝ご飯にするよ」
もう一度浜田の肩を揺さぶってから、母親は部屋を出ていった。浜田は布団にもぐったまま、まだ回りきらない頭をのろのろと働かせる。
まさかいまの初夢? じゃなくて今日の夜見るのが初夢だっけ、じゃあセーフ? どちらにしろ先日の終業式の夢だし枕の下に宝船もないからいまさら正夢もないけれど、普段いやというほど顔を合わせているのに新年早々夢にまで見たのかと思うと呆れる。
枕元の携帯を見ると、年賀メールがわらわらと届いていた。一緒に進級しようぜ的な一文が漏れなく綴られているのは愛か嫌がらせか。泉のは鉄板で嫌がらせだなと、浜田は力なく枕に突っ伏した。
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無自覚いばら道
水谷→泉/08.1.6
本命は三十一日だったのだけれど三十一日といえば大晦日で大晦日といえば家族揃って蕎麦とか紅白とか格闘技とかカウントダウンライブ生中継とかとにかく団欒なのでその邪魔はできないっていうか断られるの結構必須だしわかってても拒否られたらやっぱへこむっていうか。というわけで水谷は、前日の三十日から探りを入れてみることにした。
朝九時に携帯片手にスタンバったはいいものの、早すぎるだろうかと考え直してベッドでごろごろと漫画を読んで十時まで時間を潰した。朝九時なんていまや早いの範疇を掠りすらしないむしろ遅すぎるけれど、今日は貴重な貴重なお休みだ。つーかそんな気ィ使ってちょっと緊張までして電話かける相手が女の子じゃなくて泉とかってオレキモくない?
「ねー今日って何してる?」
わーキモイかも、と自覚しつつ別に気にするでもなく当初の予定通り泉に電話をして尋ねると、予想外の返答がきた。
『いまから親戚んちの掃除の手伝いいくとこ』
「親戚んち?」
『おじさんが腰やっちゃったっつーからさ』
「へえー。泉ってえらいんだね」
『え、普通じゃね?』
泉の口調が本気で普通なので水谷は耳が痛い。水谷はといえばよそに派遣なんてとんでもない、家の大掃除の手伝いどころか自分の部屋さえまったく片付いていなくて、今年中になんとかしないとお年玉なしという厳しいお達しを食らってちょっと半泣きな状況である(が、とりあえず全部クローゼットに隠してみようと安易なごまかしを企んでいるので反省はゼロ)。
「じゃ明日は?」
『うちの掃除に決まってんだろ。床にワックスかけて窓磨いて網戸洗う』
「が、がんばりすぎじゃない?」
『だって去年受験でほとんど手伝ってねーし。その分今年やんの当たり前じゃん』
「うわあ、泉ってえらいんだねえー!」
心底感心して、尊敬の念すら込めて言った途端電話が切れた。明らかに切られた。慌ててリダイヤルすると、
『あーわり。切りてえーって思ったら手ェ滑っちった』
泉ってときどき淡白に平然とひどいよね? と水谷は思ったけれど口には出さない。普段は思ったこと垂れ流し(って人に言われる、そうかなあ?)だけれど、いまは我慢。なぜなら泉の機嫌を取っておかなきゃならない。
「あのさー、じゃあさー、夜はあいてる?」
『なんで』
「初詣ってゆーか除夜の鐘つきにってゆーか、いかない?」
『……オレとおまえで?』
数瞬の沈黙がなんだかいろいろ物語っていた。水谷は思わずベッドの上で体育座りをする。泉のイヤそうな顔が目に見えるよう!
「み、みんなでに決まってんじゃーん」
『おー、時間あけとくわ』
今度の返事は涙が出るほど速かった。泉のわかりやすさが水谷には悲しい。だけどこれで年が明ける瞬間にたぶん泉と一緒にいられる、と膝を抱える腕に力の入った自分はやっぱキモイかも、と思った。
「じゃー明日の夜ね! 連絡すっから!」
電話を切ってからの水谷の動きは今年でいちばん速かった。床に散らばっていた雑誌を一ヵ所に集めながら、握ったままの携帯で花井の番号を呼び出す。なんとしてでも明日の夜までに部屋を片付けなければそしてみんなにも招集をかけなければ、がんばれオレ!
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にゃんにゃんにゃんの日記念
アベミハで泉浜っぽい/08.2.22
四時間目の授業が終わって教師が退室するより遥かに早く、三橋が教室を飛び出していった。休み時間に早弁をしては昼休みに購買に食料調達に走る田島ばりの、三橋にあるまじき俊敏な動きだったので、泉は興味本位であとを追ってみることにした。
廊下に出ると、普段は教室移動でも体育部活の着替えでも授業で当てられて答えるのでも漏れなくモタモタモタモタしているくせに、三橋の姿はすでに影も形もない。逃げ足だけは速いやつだけれどいまは不吉な笑みを浮かべたモモカンもこめかみに青筋立てた阿部もいない、つまり逃げる必要がない、自主的にでも素早く動けるのかと泉は妙な感心をした。
昼休みにダッシュで向かうところといえば購買しか思いつかないのでとりあえずいってみると、なんと奇跡的に人だかりのいちばん先頭に三橋の頭を発見した。泉は思わずちいさくガッツポーズ、成長したな三橋!
人より先に購買にたどり着くことはおろか、群がる生徒たちをかきわけてショーケースを見にいくことも、おばちゃん焼きそばパン! と声を張り上げることもできなくてオロオロするばかりの三橋に代わり、彼の分も小銭を握りしめて田島か泉が人波に突入するのが常だったのに。
そんなに腹が減っていたのかと思えば微笑ましいような呆れるような、しかし三橋は今日は早弁はしていなかったはずだ。弁当を忘れたとも聞いていないが、と泉がすこしばかり首を傾げている隙に無事購買での目的を果たしたらしい三橋は、また慌てたようにどこかへ走っていく。何やってんだオレ、と若干アホらしくなりつつ泉もまた追いかける。
そして行き着いたのは中庭の片隅、九組の教室の窓からも見えるちいさな花壇だった。微妙に放置されているせいで生徒が植えた花も自生の草も一緒くたに伸び放題の雑草畑と化しているその前に、三橋がしゃがみ込んでいる。
背中から近づいて覗いてみて、ああなるほどと泉は納得した。雑草畑とほぼつながった状態の校舎の壁際の茂みの中に、黒や灰や焦げ茶の毛玉が四匹五匹。
「うわー子猫じゃん、ちっせー」
泉の声に、背後の気配をまるで察していなかったらしい三橋は、ふおっ!? と素っ頓狂な声を上げて目をまん丸くして振り向いた。その手に、半分ほど分解された購買のツナサンドと、パックの牛乳が握られている。
「猫って確か玉ねぎやっちゃだめなんだぜ」
「う、うん、平気。入ってない、よ」
三橋が力強く頷く。そういえば購買のツナサンドに挟まっているのはツナと玉ねぎではなく、ツナと千切りキャベツのマヨネーズ和えだ。マイルドすぎて物足りない、と浜田がぼやいていたのを思い出す。ツナキャベツだってうまいじゃんと泉田島三橋が購買サンドを擁護したら、味覚がお子様ですねえと薄笑いされたのも思い出してちょっとむかついた。
「こいつらここで生まれたの?」
「た、たぶん。オレも、きのうはじめて、気がついたから」
母親らしい成猫が一匹、子猫が五匹。ほかにも餌付けをしている生徒がいるのだろうか、ツナサンドをちぎっては地面に置く三橋の手元に、子猫たちはニーニー鳴きながらさして警戒心も見せずよちよち寄ってきている。茶トラの母猫だけが茂みの中から動かず、子猫の頭に三橋が手を伸ばした瞬間、牙を剥き出して激しく威嚇した。
三橋はヒッと手を引っ込めたが、それでもさわってみたくて仕方ないようだ。頭をくっつけ合ってツナサンドに齧りつく子猫たちと、眼光鋭く見据えてくる母猫の様子を交互に窺ってはもじもじしている。
「三橋猫好きなの?」
「かわいい、よね!」
「アイちゃんだってかわいいぞ」
「うっ。うう、う、うん」
三橋は思いっきり目を逸らして頷いた。思ってねえな。
子猫たちの食欲を見ていたら急にグウと腹が鳴って、泉は校舎を見上げる。九組の窓にクラスメートたちの姿がちらほら見える。職員室からか用務員室からかまさか生徒の弁当からなのか、ほんのりカレーの匂いがしたような気がした。
「三橋メシどうすんの」
訊くと、三橋は実にわかりやすくオタオタし始めた。そうだオレもごはん食べなきゃ午後の授業おなかすいちゃうし体重が阿部くんに怒られるでも猫が。猫さわりたい。三橋の思考が手に取るように読めて、泉はちょっと笑いそうになった。
「ここで食おうぜ。おまえの弁当も持ってきてやるよ」
提案してやると、ぱあと三橋の顔が輝いた。確かに投手としてだめかもしれないポーカーフェイスとまったく無縁のこのエース。
「それ入れる器もなんか探してくっから」
泉は三橋が持ったままのパックの牛乳を指さした。玉ねぎなしのツナサンドを選ぶあたり意外と頭を働かせているなと思ったが、牛乳はなんの容器もなくいつまでも持ちっぱなしなのでやっぱりあまり考えていなかったに違いない。泉の言葉に、三橋は感動したとばかりに目をキラキラさせた。
「あ、りがとう泉くん!」
見ているのも聞いているのもなんだか恥ずかしいのでとりあえず教室にいこうとすると、三橋が感動と興奮さめやらぬ様子のまま、携帯を取り出して子猫たちに向けた。母猫がまたすこし身構えて鋭く鳴いた。
「阿部くんに、見せようと思って」
「あーその必要ねえかも」
校舎から中庭へと出られる渡り廊下のほうを見ながら泉が言うと、三橋も不思議そうに振り返り、あ、と口をあけた。阿部がこっちへ向かってくる。阿部には三橋センサーがついていると以前田島が言った、またアホ言ってんなーとそのときはスルーしたが、案外ぜんぜんアホじゃなかったのかもしれない。
まあ実際センサーなわきゃないのだが、教室の窓から三橋(と泉)の姿が見えたから出てきただけなのだろうが、とりあえず上から声でもかけてみればいいのにわざわざソッコーきちゃうのか阿部。つい不憫なものを見る目をしてしまいつつ、阿部と入れ替わりに教室に戻ろうとしてふと思い立ち、泉も携帯で子猫たちを撮ってみる。
あ、ぶれた。しかもみんなメシに夢中で一心不乱に地面を向いているので、上から見ると毛玉が固まっているだけのよくわからん画像のできあがり。
まあいいかと適当すぎる写真を眺めながら泉は校舎に向かった。浜田に見せてやろうと思う。あいつが猫好きかどうかは知らないけれど。
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君はさくら
アベミハ/08.4.5
いつものことだが、練習を終えたときには日はとっぷりと暮れていた。めずらしく部員の中で早めに着替え終わってしまった三橋は、明かりと談笑の漏れてくる部室の窓の下にちいさくまるくしゃがみ込み、ドキドキきょろきょろと付近を窺った。
そばでは、三橋よりも先に帰り支度を済ませた巣山と栄口が立ち話をしている。センバツの準決が、と聞こえてくる二人の会話にひそかに聞き耳を立てながら、三橋はひらきっぱなしの部室のドアに落ち着きなく何度も目をやった。三橋のあとからは、まだ誰も出てこない。
今日もみんなでコンビニまでいっしょかな。それともそれぞれテキトーに解散かな。田島くんか泉くんが出てきたら、訊いたら教えてくれる、かな。
部室の出入り口の幅に地面を照らしていたひかりの中に人影が揺れ、次に出てきたのは阿部だった。阿部は素早く視線を動かしてすぐに三橋を見つけると、無言のままちいさく手招きする。
三橋は急いで立ちあがった。いっしょに帰ってくれるのかな、と思った。知り合って友達になってもう一年がたとうというのに、まだこんなことで緊張していると知れたらまた怒られるだろうか。
「三橋、」
駆け寄った三橋に向かい、阿部は彼らしからぬ抑えた声で呼びかけた。ナイショ話! と三橋は反射的に無駄に背筋を伸ばし、オレもちっちゃい声で話さなきゃと思ったけれど、
「桜見にいかないか」
「おっ、お花見!」
阿部の言葉があまりにも予想を超えた場外ホームランだったので、即忘れて普段の彼に負けないでかい声を出してしまった。
お花見! その響きに三橋の頭の中はキラキラと幸せ色に染まる。お花見なんてここ何年もいっていないし、こどもの頃だって両親と三人か多くても瑠里の一家が加わるくらいで、友達とみんなでなんて一度もしたことがない。
「お母さんに、お弁当つくってもらう、よ! 阿部くんも、みんなの分も、いっぱい!」
興奮して犬みたいに息を弾ませて三橋が言うと、阿部は困ったような焦ったような変な顔の引きつらせ方をして、あーとかえーとか口ごもりながら頭を掻いた。
「いや、まあ、わかったそれは次のオフのお楽しみに取っとくとしてだ」
ぐ、と阿部の手が三橋の手首をつかんだ。三橋の知るいつもの阿部のてのひらより、すこしつめたい気がした。
「とりあえずいまいこう、二人で」
「ふた、」
「ふたりで」
三橋は慌ててこくこくと頷いた。阿部がほっとしたように表情をやわらげた。
(阿部くん、緊張してた?)
阿部が緊張していたときに自分はただうれしくてポカポカしていたなんて、なんだか変だと思った。
阿部に引っぱられ、三橋は歩き出す。そのとき、目の前にあるワイシャツの襟首に、見つけた。無意識に手を伸ばしながら、阿部くん、と呼ぶ。振り返り、すこし驚いたような顔をした阿部の襟首に淡いひとひらの、
「さくら、」
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