※日記からの再録です。タイトルにオンマウスで登場人物表示。
恋の万里微々と笑む

 

 

恋の万里
仁王と幸村/07.2.27

 

「たぶん病気なんだ」
 と、幸村は言った。そりゃそうじゃろ、入院中の身ィがなんを抜かしよるか。
「めまいがひどくてね」
 うっすらと寄せた眉根に人差し指をあて、うつむいてそっと溜め息する。くっきりと黒いまつげが美しい、と思った。
(うん? おかしいの)
 幸村のベッドの上に我が物顔で座ったまま、仁王はすこし首を傾げる。普段、美しいものになどまるで興味は持てないのに。
 病室を訪れてすぐ、窓際に立てかけられたパイプ椅子を取りにいくのが面倒でベッドの上に座ることを選んだ仁王を、幸村は穏やかに笑った。ブン太も同じことをしたよ。それで婦長さんに怒られていた。
「真田はなんも言わんかったんか」
「ブン太と赤也がふたりだけできてくれたことがあってね」
「そりゃあやかましそうじゃの」
「楽しかったよ。だけど授業を抜け出してきていたみたいだった。ふたり揃って自習だなんて、ねえ?」
 幸村は愉快そうに笑った。きみならどんな上手な嘘をつくの、と訊いた。
「カンニングばバレて教室から叩き出されたけえ、ヒマんなったっちゃ」
「壮絶だね」
「序の口」
 幸村はまた笑った。眉間の憂いはすっかり消えていた。
 仁王は携帯で時刻を確かめる。電源を切り忘れていたことに気づいたが、いまさら、とためらいも罪悪感もなくそのまま制服のポケットに戻す。
「またくるけえ」
 仁王がベッドからおりると、幸村の笑みはたちまち引いた。惜しむのではなく責めるまなざしを剥き出しに、仁王を見た。
「仁王はどうしていつもひとりでくるの」
 仁王はとても驚いた。意味がわからなかっ、
「期待するよ?」
 いや、わかっていた。
「何をじゃ」
 笑って言って、仁王はベッドから離れる。我ながら上手くない手じゃ、と素直に思った。仁王が病室のドアをあけるのと同時に、うしろから悲鳴のような幸村の声がした。
「きみがそこから入ってくるのを見ると、
僕はめまいがする!」
 仁王は足早に病室を出た。病院も出た。制服のポケットで携帯が鳴っている。幸村からだろう。卑怯でごめんね、と泣くのだろう。
 そして、臆病な仁王は、携帯に出ないまま家路を急ぐ。

 

 

 

微々と笑む
柳と柳生/07.10.13

 

「彼は私の話などまるで聞きません」
(ジェントルピロシはわしの話なんぞ一秒も聞かん)
「良識的にすぎて理解できないので聞いても無意味に思えるのだそうです」
(非常識じゃけえ聞くだけ無駄ち、普っ通のツラして抜かしよる)
「良識を理解できないなど人として大変正しくないと思いますが、」
(無駄ァ言われて話す口ば持っちょらんき、)
「ならば話す労力を惜しんでも罰は当たらないというもの」
(最近ようしゃべらん)
 今朝教室で、言葉とは裏腹にひどく愉快げな笑みを浮かべた仁王を思い出しながら、柳はいま部室で目の前にいる柳生に向かってため息をついた。ふたりの話を総合すると、彼らは最近ろくに口をきいていないと、それだけのことだ。
 どうでもいいな、と0.1秒で柳は思った。ダブルスを組む上では問題があるだろうが、そして参謀としては改善策を講じて然るべきなのだろうが、実にどうでもいい。というかこれは決して相談や助言を求める類いのものでなく、ただの愚痴だ。紳士が涼しい顔で、詐欺師が薄ら笑いで、揃ってくだらない事実をお聞かせくださっている。耳によくない。
「暇潰しなら弦一郎相手にやってくれないか」
「はい?」
「いや。仁王がおまえをピロシと呼んでいたぞ」
 思わず真田を売ろうとして、柳は一応思いとどまる。ピロシ、と聞いて柳生は微かに口の端を吊り上げた。
「彼の嫌がらせはレベルが低いんですよ」
「柳生、すこし仁王に似てきたな」
「どこがです?」
 柳生の微笑が底なし沼みたいに深まった。一見優しげだが勘の鋭いこどもなら泣くかもしれないな、と興味深く分析しながら、柳は超然と答える。
「腹を立てると笑うところが」
「気のせいですよ」
 途端に余韻のかけらもなく笑みを引っ込めて、柳生はラケットを手に部室を出ていった。
 柳はそれきり、コートでボールを追ったりデータを収集したり英語の過去問貸してくださいと赤也に泣きつかれたりしているうちに、そんな会話をしたことすら忘れたが、夜、珍しく柳生からメールがきた。タイトルはなく、本文はたった六文字。
『気のせいです』
 案外しつこい。

 

  

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