※日記からの再録です。タイトルにオンマウスで登場人物表示。
いまは閉ざす08.2.29不二ハピバ

 

 

いまは閉ざす
菊海/07.2.24

 

 ネットについた菊丸の死角に叩き込んだ渾身のブーメランスネイクに、しかし彼は驚異的な反応を見せ反則的なアクロバティックで飛びつきあまつさえ返してきた、が、黄色い弾道は大きく逸れてコートの外へ。はいアウトー英二の負けー、と不二がおもしろくもなさそうに審判台の上で膝に頬杖ついたままジャッジをくだすと、無理な返球の勢いでコートにすっ転がっていた菊丸はガバと跳ね起き、
「うっそだね! いまのでデュースですから!」
「アドバンテージ海堂でしたからあー。残念!」
「ひさびさ聞きましたからはたよーく、残念! デュース!」
「ゲーム海堂ー」
 のらりくらりと問答無用の不二は横目でわずかに海堂を見、いつも通りの正体のない笑みを浮かべる。菊丸はまるで海堂を見ず、審判台で悠々と足を組む不二に食い下がって「じゃあじゃんけんで英二が勝ったらデュースにしようね」とあやされているのか憐れまれているのかどちらにしろ馬鹿にされてはいる行き当たりばったりの譲歩を引き出した末に、十連敗の奇跡を引き起こしたりしていた。
「うあーりーえーねえー!」
 菊丸の絶叫を聞きながら海堂は、当事者の片割れである自分を無視してじゃんけんなんて幼稚かつ古典的な方法に左右されようとしているワンゲームマッチの行方を、他人事の気分で見守った。練習前のアップの延長のお遊び、勝敗なんてあってないに等しい、そこまでムキになる必要がどこに?
「デュースでいいです」
 実にどうでもいい、むしろ鬱陶しいとさえ思いながら口を挟むと、はあ!? と菊丸は心外なほどにトゲのある声を張り上げて振り向いた。
「何かっこいいこと言っちゃってんの、負けてもいいわけ? かいどーバカ?」
 聞き慣れない冷たい声音の物言いは、うんざりと聞き流すには一方的すぎた。デュースでいいと言っただけ、それで負けると決めてかかられるのは不愉快だ。というか誰が馬鹿だ。
「だってあんたなんなんスか、そのじゃんけんの弱さ」
 本当のところは知らないが、単に不二が世にも不自然な確率で勝ち続けているだけなのかもしれないがとりあえず言ってやると、菊丸は大いにお気に召さなかったようで、あァ? とあからさまに柄が悪くなった。その頭上では不二が、優雅さのかけらもなく大あくびをひとつ。
「そんなんでいつまで粘る気ですか」 
「勝つまでだよ」
「いつ勝つんスか。待ってる時間が惜しい。だからデュースでいいって言ってんです」
「かわいくねえな」
「かわいいと思われても嬉しくねえ」
 正直、苛立ち始めていた。なんでこの人の相手はこんなに面倒なんだ。
 先輩を敬うことを放棄しつつある海堂の態度に、菊丸の表情もますます不穏になりかけたとき、あはは、と不二が乾いた笑い声をあげた。軽やかに審判台から跳び降りると、
「僕もデュースでいいよ」
 にこやかに言い置いて、コートの入り口のほうへ行ってしまった。集合時間になったことに、海堂もすぐに気づいた。よかった、と思った。この場から、この菊丸英二という生物から逃れられる。
「よかったっスね。続きはまた」
 当然、二度と続ける気などなかった。不二のあとを追うように歩き出した途端、うしろから菊丸に腕をつかまれた。あまりの唐突さと力の強さに驚いて思わず邪険に過ぎる勢いで振り払い、しまったと思ったが、菊丸は意にも介さぬ目をしていた。
「俺は海堂にだけは負けたくないの」
 それは言葉、余りにも低く平坦な音であったのに、急角度で視覚から脳に食い込んだ。
「わかる!?」
「わかります」
 打って変わって感情を強める菊丸から目を逸らさず、努めて平静を保って海堂は答えた。
「俺だって、誰にも負ける気はねえ」
 菊丸がひどく期待を裏切られたような苛立った目をしたのには気づかないふりをして、もう一度歩き出す。
 おまえにだけは、なんて。
 菊丸が、自分と同じプライドを秘めていたなんて。その根底にある感情はなんだ?
 確かめる気はない、知りたくはない、だから決して口には出さない。
(あんたにだけは)

 

 

 

不二様おめっとー記念
36/08.2.29

 

「誕生日おめでちゅー!」
「なんでネズミ?」
「えっどこにネズミ!? やめていま俺にネズミの話はこないだエミちゃんにネズミーランドおごらされてしかもパレードの悪夢がね!」
 両手で頬を押さえて男子高校生の太い声でキャーと気色悪い悲鳴を上げる菊丸に、不二はあさっての方向に目を逸らしてため息をついた。
 噛み合わない会話は菊丸の得意分野だ、しかし以前乾にそう言ったら会話というのは相手が存在してこその行為であるから菊丸の相手をしている不二の得意分野でもあると言えるなとたいして興味もなさそうに分析された、いけ好かないデータおたくめ。
 ため息が白く煙り、視線の先の風景、青春学園高等部校舎をわずかばかりぼやけさせる。ああなんて立ち並ぶ木々の寂しいこと。空の青いこと、空気の研ぎ澄まされていることクソ寒い。
「エミちゃんて誰」
「え? カノ」
 ジョ、まで答える寸前で菊丸の声は途切れた。視線を戻すと、しくじったと隠しもせずに顔に書いてへらりと締まりなく笑う。おもしろくもないと不二はマフラーに顎をうずめた。
「一緒に初詣にいったユウコちゃんはどうしたの。ずっとラブラブでいられますようにってふたりで神様にお願いしたんでしょ」
「あーそれねーなんかユウほんとは新しい彼氏できますよーにってお願いしてたみたいでそんで叶っちゃったみたいっつーかなんつーか」
「最低」
「だよねー!」
「英二がだよ」
 けんもほろろに不二が目を細めると、菊丸は薄ら笑いを引きつらせて黙った。いつもみたいに駄犬のごとくぎゃんぎゃんと反論してこないところを見ると十分に自覚があるようだ。あるくせに別れた原因を女子に押しつけようだなんてどこのクズだ。
 シマモトユウコです、エイジくんとつきあってます。そう言ってはにかんで笑ったユウコちゃん。彼女のほうから菊丸を振るなんて考えられない。
 正門から出てきた女子の二人連れが、他校の制服姿の菊丸を無遠慮に見ながら通り過ぎていった。中の中の学力レベルの可も不可もないテニスが強いわけでもない公立の高校に進学した菊丸は、去年の四月に入学して以来、不二の知る限りで二回彼女が変わっている。そしていま知った三回目。
「大石たちは?」
 菊丸が露骨に話を逸らした。もともと追求する気もないので不二はその誘導にのってやる。
「もうすぐくると思うけど。先にどこか入っててもいいって言ってたよ」
「じゃーマックに避難、超寒い。俺マックフルーリー食おっと」
 寒さとアイスが連結する菊丸の嗜好が不二には毎年理解できない。こたつでアイスってなんだその不正解。日本人ならみかんだろう。
 強く風が吹き渡り、不二は思わず両手で耳を押さえた。冬場にいちばん庇わなければいけないのは耳だと強烈に思う。本当に凍ってもげ落ちてしまう気がして笑えない。隣の菊丸は耳ではなく、中学時代よりやや長く量は軽くウルフスタイルのようになった髪を庇っている。
「不二もランドいったの?」
 片手で髪を整えつつもう片手でマックで待機と大石にメールを打ちながら、菊丸が不二を見た。彼の脈絡ない問いにはとうに慣れきっているので、答えだけを簡潔にして問い返しはしないと不二は決めている。なんでそう思うのさ、という疑問はわくけれど。
「いってないよ」
「じゃなんでネズミなの」
「英二が最初に言ったんでしょ」
「は?」
「おめでちゅー。チューチュー」
 鳴きマネなんてとてもいえない投げやり極まる態度で唇をとがらせた不二に、菊丸はなんだか変なものを見るような目を向けた。しまった最悪だ四年ぶりの僕の誕生日はいまめでたく呪われた、英二にそんな目をされるなんて人生で五本の指に入る失態。
「不二にしては貧乏な発想力」
 うわ、本当に最悪だよ。それを言うなら貧困じゃないのと突っ込む気力も起きない。
「ボク四歳、て言ってよ」
 青学高等部の正門前から歩き出しながら、菊丸がアホを企む悪ガキみたいに歯を見せて笑った。
「ボク不二周助、今日で四歳」
「うわ、つっまんねえ!」
 顔の横に指四本立てる大サービスでなんのためらいもなく言う通りにしてやると、菊丸は心底がっかりしたようでさらに歯を剥き出して不満を垂れた。
「プライドとかないんですかー」
「山のようにあるけど英二相手に使うほど安くないんだよね」
「値下げしてください!」
 菊丸の息が白く渦を巻く。よくしゃべる彼のことだ、真冬は常に白いものに巻かれているのだろうなあと思いながら、不二はまた両耳をてのひらで覆った。自分の生まれたこの季節にもっとも耐性がないなんてなんだか理不尽な気がする。
 いつもと変わらず軽そうなカバンに手を突っ込みながら、横で菊丸が何か言った。風の音と耳を塞いでいるせいでうまく聞き取れず、不二は渋々手をはずす。
「そんな周助くんにプレゼントフォーユー!」
 そんな、が何にかかっているのか一瞬つかみ損ねたが菊丸のカバンからニュ、と出てきた代物を見て即座にわかってしまった、わからないままでいたかったと不二はつい視線を逃がす、それが誕生日プレゼントだと抜かすのなら僕は断固いらない。
「耳寒いんでしょ?」
 包装も何もなくそのまんまで菊丸が差し出したのは真っピンクのふわふわイヤーマフ。それだけならまだよかった(いらないけど)本当にただ単純に不二の耳を心配してくれているのなら(超いらないけど)、しかしヘッドバンドの部分に何かついている。それこそ夢の国のプリティなヒロインばりのどでかいリボンかと思ったが違った。それはあれかな、俗にいう猫耳ってやつなのかな英二くん?
「ユウコちゃんにでもあげようと思ってたのが無駄になったわけ?」
「不二にあげるんで買ったに決まってんじゃん」
 ふたたびのユウコちゃんの名に今度は動じた様子もなく菊丸は即答した。彼の言葉の真偽を容易に見抜けてしまう自分を、不二は心から残念に思った。菊丸の気持ちには感謝を示してやりたいがとりあえずあまり自信はない。ありがとう英二、と偽りなく愛情込めて言ってみれば顔が勝手に薄笑う。
「ぶっ殺すよ?」

 

 

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